普通を無理やり否定するとか、
おかしさを強引に肯定することで、
さっさと目立つことはとても簡単だ。
これは「笑われることと笑わせることの違い」に気づけない状況と同じで、
見る人が見たら、ただ不自然かつ不快な失笑を誘うだけである。
このような不自然な手法を肯定しつづけると、
どこかでウソをつかなくてはいけなくなり、
ウソをウソで塗り固めないと先に進めなくなってしまうのだ。
そうやって個人なり組織なりで目立っている人を数多く知っているけれど、
結局は情報弱者を食い物にすることでしか生きていけない、
そんな後ろ暗さを抱えているんだよね。
自覚して開き直って一芸にするなら、それもまた生き方なんだけども、
不自然の不自然たる所以は、自覚や反省をせず中途半端に開き直ることにある。
仮に目立っていても、不自然な立ち居振る舞いは、
下品や粗野や知性のなさに行き着くしかない。
せめて、猛反省してサクっと方向転換できるくらいの余裕がないと、
知的に自然なスタンスを取ることすらままならなくなってしまう。
無意識のうちに出てくる不自然さは、結局は知性や知識不足として、
無意識にしつこく繰り返されてしまうことを知っておくと良いんだよね。