本当に実現したいことがあり、そのためにつく嘘は、
欲求に正直だからこそなせる技である。
その嘘のおかげで、前向きな事実が得られるのであれば、
堂々と行動するためにホラを吹いてフェイクを見せるほうが、
その人にとって利得があるということだ。
この「嘘による利得の有無」に切りかかっていこう。
仮に嘘やホラやフェイクが、ヘナチョコでセコく思えたり、
中身を伴っていないとしたら、それは単に学べていないというだけだ。
このとき、前向きな事実を得ようとしているのではなく、
踊らされやすい対象をだまくらかしたり、隠蔽工作をしたりと、
ただただ後ろ向きな物事でしかない。
このような嘘は、自分自身に関しても、
思い切り嘘をついて誤魔化してしまうので、
学ぶことなくどこかで自滅する以外になくなってしまう。
嘘を嘘で塗り固めろと言いたいのでは決してない。
自分や他者を欺けと言いたいのでもない。
反社会的な利得に目を向けろと言いたいのでもない。
他者に嫌な思いをさせていいと言いたいのでもない。
これらの短絡的な嘘は、自滅の第一歩だ。
他方、出来ないことを出来るようにしようと学ぶとき、
出来る前に「出来る!」と言い切ったり思い込むことも嘘である。
とはいえこれは嘘というよりホラであり、嘘も方便が許される。
学んでしまえば、事実になるためだ。
そこから得られる根本的なプラス変動が得られれば、それも一つの手段だ。
嘘を前向きに扱い、
あるいは後ろ向き思考を切るために扱い、
徹底して事実をありのまま見つめて乗り越える覚悟があれば、
誠実にホラを吹くことで、むしろかえって素直に成長する態度でいられる。