「ネットで真実」とか「大手マスコミ不要論」はおおよそ聞き飽きた。発し手のヘナチョコさを隠すための、安易な隠れ蓑に過ぎない。
SNSの炎上騒ぎや煽り合いやバッシングやレッテル付けも聞き飽きた。書き手がどんどん自分の格を下げているに過ぎない。
打倒・疑似科学だとか、反・反●●のような科学者の言も聞き飽きた。そもそもがテンプレートの応酬でしかなく、そこに現実解を目指す発想がない。
これらは「仏作って魂入れず」どころか「仏も魂も作ったフリをしている」だけの、宣伝だか宣伝じゃないのか、方向性がとうとうよくわからない行為でしかない。
これ以上聞き飽きたくないのであれば、「その意見に、どれだけ自由意思の尊重が存在するか」という視点を保つ必要がある。仏大手新聞ル・モンドのこのような記事のクオリティの文面が、日本語でほぼ手に入らないというのはとても残念である。
自由な知性と教養が大切だと腹落ちする人が増えていかないと、こればっかりはどうしようもない。
自分が情報を発しているのは、この大穴を埋めるためなんだよね。