「インフルエンサー」の扱い方

daily0 本音たち。
そろそろインフルエンサーにただ影響を受けるのはやめて、
その影響に本当に意味があるか否かを本気で考えよう。
言い切ってしまえば、インフルエンサーは「テレビショッピング」のような営業メディアか、「芸能ニュース」と同じ広告メディアである。
本質は「個人マスメディア」であって、たまたま目立った普通の人の一団に過ぎない。
外側はある程度ラッピングが施してあるので、同調してしまう層は少ないものの、やっていることは、B層向けのポンチ絵のような煽り文句を上から目線で売り込むことでしかない。
そこには、年功序列と同じような「知名度序列」があるだけで、
ネズミ講組織だとか、古臭くなりきった風前の灯の昭和の組織と大差ない。

「私はインフルエンサーという素人の素人向けメディアです。頭の悪い層を信者にしているだけです」
というシグナルを発しているだけである。
これは学歴とは関係ない猿知恵だと言っていい。
「広告は、世の中の大多数である偏差値40向けに作れ」と言ったインフルエンサーの言葉は、的を射ている。
これは広告の本質だ。一切合切見向きもしないのは、もったいない。
使えそうな部分だけは、「元ネタ」を探す形で引用しよう。小説や映画やマンガや論文と同じで、元ネタがどこかにある。
もし元ネタが見つけられないとしたら、オリジナルなインサイトがあると言っていい。
そういう人は「インフルエンサー」という単語なんて経験していないんだけどね。
遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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