劣悪な環境のほうが、ピカピカに磨かれた環境に比べて、
解決すべきトピックが多いんだよね。
特に技術がものを言う分野に関わるのであれば、
劣悪な環境から物事を開始するリターンが十二分にある。
もっとも、この場合の技術とは、
技術書が出せたり、技術内容について講演ができたり、
それがアカデミックな領域に関わっていたりと、
一目置かれるような技術の分野に限られる。
自分で自作自演した程度の物事は、技術とは言わない。
誤字脱字を放置していたり、
情報弱者をだまくらかすだけの情報商材だったり、
明らかにインテリジェンスのない分野は、
そもそも解決すべきトピックを放置プレイしている。
この場合、いくら表面をピカピカに磨いていても、
中身も環境も、劣悪で粗悪なシロモノだ。
見る人が見たら、
「これって要件定義を劣化した方法だよね」
と即答して終わりである。
話を戻そう。
ひどく劣悪で何もない環境からこそ、ブレイクスルーが出てくる。
その内容や仕組みの実態は、学問や技術のカタマリだ。
仮に一番乗りのアイディアが出てきても、
後発組が学問や技術を通じて徹底的に仕組み化して、
あっさりと乗り越えてしまう。
ひどく劣悪で何もない環境と、とんでもなくピカピカなインテリジェンスがある。
これらが結びつくと、そのバランスを取ろうとして、
思わずあっさりとアイディアを形にしてしまう。
劣悪で何もない環境だからこそ問題解決のしがいがあるというのは、
解決した際のインパクトがとんでもなく大きいからなんだよね。