ホラクラシーやリモートワークが当たり前の時代になり、
移籍のごとき転職が頻繁に起こり、特に技術職界隈では新卒フリーランスという言葉まで出て来ている。
そんな今となっては、総合職・一般職や、
あるいはマネージャーとスタッフといった職位について、
古臭く合理性を感じないという感想を抱くのも無理はない。
組織内と組織外が混ざり合うほどジョブマーケットの流動性が高まると、
職位がそのまま能力やモチベーションを反映しないとすぐバレてしまうためだ。
具体的には、
・マネージャーが運営巧者だからマネージャーに就いているのではない。
・経営トップが経営巧者だから経営者に就いているのではない。
という事実がとことんバレてしまう。
閉鎖的な内部が、市場という外部に晒されると、
創業者一家だからとか、年功序列で就任したとか、
あるいは情実で得たに過ぎないポジションだという背景が、
不合理として明るみになるのである
もっとも、情実による名指しは信頼の表れという面が多分にあるので、
不合理でない(ように見える)限りは、それがそのまま成果を作ってしまうことも多々ある。
経営者の職位にはこれが顕著だ。
他方でぶっちゃけてしまうと、権限が中途半端な中間管理職であれば、
情実の介入はポリティクスの始まりとなり、必ずしも経営直結の成果にならない。
この傾向に少しでも感づいている優秀な層ほど、
「経営上の意思決定に関われないんじゃプラスにならない」
と見切りをつけて、さっさと上を狙える側に抜け出してしまう。
コンサルティングファームに行きたがる新卒が増えているのは、
高待遇もさることながら、経験と職位が一致する上に、
自分なりの知的工夫をそのまま価値にする環境を得られるからだ。
もはや、騙し騙しヒエラルキーに押し込む発想を取り去ったほうがいい。
読書やリサーチ好きの若手が、アカデミックスキルや懐疑心をそのまま活かせば、
ヒエラルキーに押し込められた中間管理職は猿芝居しかできないと読み取れてしまうんだよね。