自分が日々見る風景は、
それが窓からの風景であれ、
心象風景であれ、美術品や音楽作品に込められたものであれ、
美味しいものを味わったときの感覚であれ、
自分で維持しないことには何も始まらない。
ここで大切なのは、見たいものや見るべきものを蒐集して世界を広げることだ。
何が見たいのか、何を見るべきか、という問いは、学びで蒐集する知識に応じて切り拓かれていく。
嫌なのに無理して見させられる趣味の悪い風景や、
無知が原因で留まらせられる退屈な風景や、
ビジネスや人間関係に付帯してくる押し付けの風景など、
精神的にたまったものではない。
学んだり、実績や利益を出したり、自分を成長させていくことを、
「これは自由な風景の蒐集のためなんだよ」と言ってみるくらいでちょうどいいんだよね。