ストリートスマートとは「困難から臨機応変に動いて成果を出す知性」のことだ。
ブックスマートとは「教育水準や読書量のある知性」のことだ。
ブックスマートという言葉と同時に使ってプラスに論じるのは、実は大間違いではあるが、
それを承知の上で、あえてブックスマートをプラスに書いてしまおう。
ストリートスマートを自称しながら「良書や学問体系から知識や発想を用いることができない」のは、単に事実認識が甘いだけである。
要は「本もろくすっぽ読めず、経歴も未熟者で、多様な価値観がない、退屈な人」なのである。
その結果行き着く先は、中途半端な知識を振りかざしたオッサン臭さかもしれないし、ひどい場合は剽窃や捏造だってありうる。
教育でもAIでもビジネスでもゲームでも何だっていい。自分の世界を展開する上で、先行研究の下調べが甘いのは「ただの実力不足」だ。
仮に炎上芸のためにそうやっているとしたら、それは実力不足をごまかしているだけだ。
教育を語る上で、予備校や試験対策しか言及できないとか、それらにコンプレックスが混じるというのはお粗末だ。
AIや機械学習を語る上で、PythonやR言語で書き起こされるロジックだけでなく、物事の実現可能性までリーチできていないというのは、もはや致命的だ。
これらはいずれも実際に見かけたお粗末な例に過ぎない。
諸々を知った上で、あえて確信犯的に事実認識を甘く演出しているのであれば、他に言いようもある。
知っているからこそ演出ができるのであって、知らずに看過してしまう「ノンスマート」は、知っている人からすれば実力不足がバレバレだし、そもそもスタート地点にすら立てていない。
「ブックスマートかつストリートスマート」の傾向として、およそこのような傾向がある。
・一定レベル以上の大学に一般受験で合格するくらいの実力がある
・知的好奇心が精神的にも社会的にも充足され、実績や経歴に跳ね返っている
・途中で学ぶことをやめたり、過剰な広報に逃げたりしていない
これが全てではないにせよ、上記の3つを欠かすことはほぼないと言っていい。
これらを備えた人は、そうでない人を本音ではこう評している。
「あらら、水漏れが多いね。あちゃー、やっぱり背景の額面通りか。」
いっぽうで発想を逆転させると、
「この事実認識の甘さをチェックリスト化して埋めていけば、ブックスマートとストリートスマートの両方を得るチャンスの入り口に立てる」
とも言える。
実は泥臭いルートにこそ、スマートさが隠されているんだよね。
boxcox.net、遠藤武。