誰かから「欲しい」「読みたい」「話を聞きたい」と求められれば、そこには需要がある。
どこでも入手可能な換えのきく商品やサービスや、
値段で選択基準が変わる商品やサービスや、
実際に必要性の生じているプロダクトをスキマを縫って出すケースや、
あるいは家族のように情が介在する関係の場合を、
例外ケースとして需要から差っ引いてみよう。
このとき、需要が湧き出て来るためのチカラとは、
「どうしてもこの人・このモノじゃないと嫌だ!」
という言葉の裏にある、価値や想いやメリットや感動だ。
これは、究極的には単なる主観だ。
需要について、ゼロをイチに持ち込むことが難しいのは、
見ず知らずの他人に主観的な思い込みを抱いてもらうである。
「私のことを気に入ってください」と1万回唱えたとしても、
実際に気に入ってもらえるわけではない。
だからこそ、求められるものを出すことには凄みが必要になるし、
求められる現象がふと出てきてマッチする状況は凄い。
ふと出てきた小さな需要は、仮に「待ってました!」という準備が環境にあったとしても、
実際に出てきてしまえば、偶然生じた一つの小さな独立事象だ。
そう思って、いろいろな出来事の凄みを噛み締めながら試行するくらいでちょうどいいんだよね。