好奇心と馴れ合い。

daily0 本音たち。

好奇心があるということは、成長のカギである。
好奇心がなくなれば、すなわち衰退の始まりだ。

例えば、以下のような状況は衰退のサインだと言える。
・ギャンブル浸り
・酒浸り(飲み会などカジュアルなもの含む)
・愚痴ばかりで人をイラつかせる 
・炎上芸に走る
・新しい知識や知見を出そうとしない

これは「知らず知らずのうちに、既存の状況と馴れ合いを繰り返している」
という形で、問題提起にも解決にも向き合っていないことで共通している。

馴れ合いとは、
「知恵を絞って発想や工夫することから逃げた現状維持」
ということに他ならない。

あるいは、置かれた立場の構造上、
発想を枠外から眺める勇気を知らず知らずに断たれた、
残念な状況とも言える。

学歴がさほど関係してこないような、
音楽・絵・デザイン・演劇・小説・作詞などの分野だろうと、
学歴を持ち出してくることが相応に有利になる種類の分野だろうと、
これは全く関係がない。

一定の頭脳労働が絡んでくるクリエイターでさえ、
馴れ合いに走ると、一発で底の浅さがすぐに見えてしまう。
知識労働は世界が固まりやすいので、言わずもがな、である。

かつて好奇心を持って工夫したことがあるとしよう。
どんなに些細なことだっていい。

小学校の図工で、焼き物がうまく出来て褒められたことから、
PhD(博士号)を取って、論文が表彰されたことだっていい。

好奇心がなく、既存の状況と馴れ合うことの恐さとは、
過去の栄光を鼻にかけ、現在を知らぬ間に食いつぶし、
見苦しい虚栄心でしか動けなくなることにある。

気づいたら、精神も知性も勇気もなく、成長が止まって自滅する。
そんな「再起不能の“元”出来る人」は、現に実績がある人にも少なくない。

新しい知識の導入や、古くなった知識の上書き消去や、
根本的に間違っていた知識の修正がない状態とは、
「考える葦」としての機能をゼロにされている。

実があっても、既に枯れている状態ということだ。

このような状況を脱する上で、
怖くてどうしようもない人のための対応策。

物事にはサイクルや浮き沈みや停滞期が必ずある。
これを堂々と認め、1mmでも一瞬でも自分の枠の外に出る勇気を持つ。

そんな勇気を通じて「“現”出来る人」を経て、
少しだけ先の「出来ている人」「出来た人」を着地点にする。

過去と今を直視し、好奇心をテコにして、
馴れ合いを飛び越えてしまえばいいんだよね。

現実的かつ好都合な着地点は、思いのほか近場にあると気づけるよ。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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