格差の放置は、治安やインフラ管理や公衆衛生を悪化させる原因だ。
不公正がこれをもたらしていれば、そこに怒りを仕向けることは自然の流れだ。
社会単位か個人単位かはさておき、
格差を乗り越える方法は、
1.「税金徴収を通じ、所得を再分配する」
2.「知識と行動を通じ、所得の成長機会を得る」
という2つしか存在しない。
格差が上からも下からも解消しづらい原因とは、
端的に言えばお互いの無知に起因する。
紛れもない事実を挙げると、
1.を唱える社会運動家らは、2.について無知である。
2.で経済的に成長した層は、1.について無知である。
仮に、無知である現実を乗り越えているしたらどうなるか。
例えば、成長するための資源(教育や高度な職業訓練)について、
全くアクセスしようのない障壁があるとしよう。
その場合、成長のための資源を用意する必要があると議論を進展させればいい。
経済成長のお裾分けとして、所得の再分配を捉え直せばいいのである。
かつ、不公正で動く層を排除するための草の根レベルの監視が機能すれば、
個人だろうと社会だろうと、主体的に動く人が数多く出てくるだろう。
技術革新や、リーダーシップの入れ替わりも起こりやすい。
現実の状況に戻ろう。
議論がここまで進展せず、格差が放置され続けているのは、
お互いの無知がもたらした不公正に過ぎない。
個人でも社会でも、それぞれのバイアスに集中しすぎると、
結果的に「無知でいいや」という発想がはびこってしまう。
このとき最強なのは、アップデートの足りない、古臭い物事の頂点にいる層である。
言い切ってしまうよ。
過去の資産や栄光を食いつぶして生きているような層が、
すべてこれに当てはまるんだよね。
この乗り切り方。
知識のアップデートを通じて、
何が古臭く、何が新しく、何が足りていて、何が足りないかを、
シンプルに抉り出すだけでいい。
知識化されていないものを言葉にするだけで、
新たな知識や知恵にも恵まれる機会が出せる。
「不公正はおかしい」と感じるなら、
既存の延長線上に努力を放置するのではなく、
まず「無知でいられない状態に、インセンティブを付与する」だけでいい。
そもそも、世の中から歪みは無くならない。
無知であることを放置せず、歪みに仕組みを付与することで、
実はチャンスが多く出てくるんだよね。