データ分析や仕組み化といっても、いろいろな立場があるが、
とりわけ統計学とFP&Aにチャンスがあるのは、各分野がセクショナリズムに陥っている点にある。
セクショナリズムとは、省庁ごとに合理的に分業制が敷かれるも、価値観や目的やゴール設定が省庁間で異なり、似たことをやっているのに対立を招いて非効率や不経済が起こることである。
用語を難しく考えることなどなく、組織に属したことのある人なら、社内政治を思い浮べればいい。
「うちの会社、国内の法人営業部が昔から強かったけど、海外進出強化で事業推進部に囲い込まれちゃって、負けた側は険悪で…。」
「時期社長の出世競争が欧州部門と北米部門で繰り広げられていたけど、そこにアジア部門が食い込んで来て、北米部門のトップが振り落とされそうで…。」
というような、社内政治の面倒ごとで、足を引っ張り合う様を思い浮かべてくれればいい。
要は、各部門や分野ごとに、良かれと思って主張するポイントが異なっているため、
組織全体の業績向上からしたら1+1=2ではなく、1+1<2に狭まることが、セクショナリズムの一番面倒なところだ。
実はこれは、データ分析分野でちょうど起こっている。
しかも、よかれと思ってやっていることが、分野ごとの流儀の違いを招き、
知識不足のままそれぞれの分野で突っ走っているのだ。
特に「データ分析のチカラで組織を伸ばそう!」という際、
例えば「経済学の知見を使って消費関数や生産関数を推計して、業績向上に役立てよう!」という、
もっともらしい動きが大学に近いベンチャーらしき分野からあるのだが、実はこれは知識不足・事例不足・先行研究不足である。
まず一つ。
実際のところ、外資ベンチャーの日本法人立ち上げと急成長をリードしたが、
この組織は大づかみで言うと「敬意をベースに成長する、データ処理・分析が軸となる組織」を大前提にしていた。
まず敬意が第一と言い切る発想があったのだ。
データ分析により複数の別な組織に関わり、事業立ち上げも組織リードも経験した立場として言うと、
定量的で論理的な発想ばかりのデータ分析組織は多数あれど、
定性的かつEQの高い発想を大事にしたデータ分析組織はそう多くない。
ついうっかりデータ分析そのものが主役だと言いたくなる気持ちはよくわかるが、それを抑えて、
データ分析に出来るところと、データ分析の外で考えるべきところを、峻別すべきなのだ。
データ分析は、組織を面白くするし、成長に導く。
ということは、人は単なるデータ分析やテクノロジーによって動くのではなく、好き嫌いや敬意で動くのだと思い知っておくのだ。
人の思いや動きに先回りして未来を創ることや、アナログな要素を掛け合わせることが、矛盾するようだが実はデータ分析に必要な仕組みなのだ。
それだけ仕組みも、面白い。
更にもう一つ。
ありがちだが、データ分析を意味する射程には、とても中途半端なものが多い。
なんでもかんでもマーケティング戦略や金融市場で終わり、なんでもかんでもビッグデータでコードを書いて終わり、なんでもかんでも機械学習やAIというレベルなのだ(どれも大事なことではあるが)。
ストレートに申し上げるが、これはアプリやダッシュボードを作るのと同じ「静か」な発想であり、ひどい言い方をすると下請け企業でも出来る。
そうではなくデータ分析を通じて、荒馬を乗りこなすかのごとく本音を体現する「動き」の発想で、データ分析で唯一無二の成長を実現出来る。
この違いが見えていないケースだらけなのが、現今のデータ分析だ。
またこれに付帯し、FP&Aや財務モデリング、時系列解析・多変量解析等を通じた売上予測、品質や価格を占うヘドニックアプローチ、あるいは品質から市場構造までを捉える定性・定量を問わないラフ集合分析といった、データ分析周辺のドメイン知識が明らかに足りていない。
要は、データ分析の意味するところが、現今では穴だらけなのである。
この原因の洞察は、中央経済社『旬刊経理情報』誌における私の連載には複数回書いている(更にアップデートしていくつもりである)が、
「CFO/CMO/CIOの要素で、データ分析の意味するところがまぜこぜ・バラバラになっており、セクショナリズムに陥っている」
というのが、穴だらけの原因である。
とはいえ、これは実はチャンスである。
スキマを見つけて果敢に挑戦していける素地が、データ分析にゴロゴロ存在している。
既に誰かが行動している、複雑で難しいことに頑張って取り組む必要などない。
まだ誰も行動していない、とてもシンプルな組合せに楽しく取り組めばいい。
これは研究と同じことである。
少なくとも、私がかつて冪(べき)変換を用いたヘドニック法を通じ、船舶の時価評価を行うサービスを創って、船舶投資を行う金融機関や投資家を助けることができたのは、誰も行動していなかったからだ。
たまたま土木という学問分野の知識でヘドニック法を知っていたのと、当時の顧客にヘドニック法を日々用いている日本銀行調査統計局があり、そこに大手金融機関の需要があるにも関わらず、類似事業を手がける業者が完全に見落とす「穴」があったのだ。
データ分析周りには、このようなシンプルすぎる穴が、今でもあちこちにある。
それどころか、誰もがAIやビッグデータなど特定の分野にハマり込むほど、セクショナリズムが発生し、自動的に穴がボコボコと生じると覚えておけばいい。
現実解。
セクショナリズムは、淡々と楽しく穴を発見していくと、そこから淡々と唯一無二の価値が出てくる。
これはデータ分析しかり、起業も研究も市場拡大も、芸術や文筆といった作品も、同じことが言える。
boxcox.net、遠藤武。