経営 その8 〜 偶然。

daily1 商い。

「運が良かったから偶然経営が上手くいった」

自分の成長の結果をそう評する人は少なくない。

 

この逆。
どんなに怒りを覚えようと、
どんなにカネと地位を持った虚飾の塊だろうと、
あるいはもっともっとど理不尽だろうと、
他者を邪険に呼び捨てると、偶然は一発で自滅の側に触れる。
誰かの悪口大会や、邪険でなげやりな声が、
下品なタブロイド誌の読者の笑い声やふてくされのように、
ショボく汚く響き渡ったとしよう。

 

「嫌なものを直接マイナスにさげすむ一言」
「ふてくされてなげやりな一言」
「有名人をこき下ろす一言」
が、偶然聞かれたばっかりに、そっくりそのままチャンスを逃したとしよう。
これはもったいないの100乗であり、
「嫌なもの」にグーパンチで殴られるより、
遥かに痛く高くついてしまう。


まともな感性を持つ人が、そんな程度の人と素直に関わりたいと信じるだろうか。

これでまともなビジネスパートナーと良好な関係を築けるだろうか。
「あれだけ酷い目に遭ったのに文句ひとつ言わない!」
「こんな自分にも分け隔てなく接してくれる!」
「こんな優秀で接しやすい方と一緒に過ごしたい!」
立ち居振る舞いが徹底的にクールかつ、
目に見えたお金や知名度ごときにコロコロ態度を変えない人のほうが、
結果として、広く深く長く愛される。

このような評価を、思いっきり自然体で頂戴するほうが、

どう考えてもプラスということだ。
忖度するような関係は必要一切ないけれど、
素直で素行が良いことは武器なのである。
自分がこれを強烈に意識したのは、
父親のルートにあった某経営者への人的なつながりと、
祖父のルートにあった某政治家への人的なつながりが出てきたときだ。
いずれも2000年代中頃に日本を賑わせた当事者である。
人のつながりなど、どこから出てくるかわからない無差別級の世界である。
有名無名も、老若男女も、持つか持たざるかも、個人を見ていけば、究極的には関係ない。

現実解。
自分にも他人にも、人には感情があるからこそ、
まずは「さん付けを100%にする」というゲームにハマればいい。


さらに、ふと髪の毛1本ほど出たドキッとする配慮ある本音が、
さらに上手い具合に愛されることも、頭の片隅に入れておけば万全だ。
普段の素行と知性ありき、単にそれだけのことなんだよね。

..遠藤武

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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