本音とプロ。

daily10 お金と実力。

本音ストレートで接することが、プロの下限である。

これが出来ないということは、例外なく実力不足ということだ。

なぜ本音ストレートかというと、

そもそも「本音ストレートでないなら全てを見誤る」ためである。

見誤っているうちは、

その人は実力が足りないか、

事実の認識が甘いゆえに、

損失をぶっこいてしまう。

それではプロと一切呼べないし、

事実を誤魔化してしまっては、

成長やリカバリーができないから、

なおさらプロではないのである。

 

プロの実力に気づいた話をしよう。

自分は高校生のときに吹奏楽コンクールの全国大会に出た。

全国大会の20年以上前に創部したメンバーの一員に、

のちに「プロ楽団のバスクラリネット奏者」となる人がおり、

時を経てその方が、自力で創った部活を全国大会へと導いたのである。

 

大学に進学したあと、ふらりと卒業生も参加できる高校の部活のイベントごとに参加し、

そのバスクラの先生と何気なく話していたときだ。

ふと「先生は日本の第一線のプロですものね!」と伝えたところ、

苦笑と、いくぶんの嬉しさが入り混じりった顔をしながら、

「二線三線もいいとこだよ笑」

と返してきた。

苦笑3割、本音の言える笑顔7割だった。

 

率直に言うと、その言葉を聞いて、

「やっぱりね」と嬉しくなったことを覚えている。

今ならこれが「本音ストレートに話すプロの仕事」ということだと断言できる。

実績を考えると、

押しも押されぬ日本のトッププロなのだが、

よくよく考えれば、

日本のトッププロということは、

吹奏楽もクラシック音楽も欧州や北米から来たものであり、

世界のトッププロにかなわないと知っているのだ。

とはいえ「二線三線も良いとこだよ笑」なんて、

お互い業界人どうしでは普通は言えない。

まして教え子に言うことなど更にありえない。

とはいえ、事実は事実として認めるというのが、

プロをプロたらしめる下限であれば、忖度など一切いらない。

 

誤解のないように言っておくが、その先生は学校教師ではなく、

高校の部活を創部して音大に進学し、プロ楽団の奏者に就任した、正統派のプロだ。

また、所属の吹奏楽団以外にクラリネットアンサンブルを組成しており、

そのアンサンブルのメンバーには日本のトップオーケストラのクラリネット奏者から、

後に大手となる吹奏楽団を起こしてしまう奏者もあり、もはや単なる吹奏楽の枠を超えていた。

 

実のところ学校教師で吹奏楽コンクールの全国大会にいくら出ようと、

このアンサンブルの実績も、プロ奏者単体での実績も超えられない。

そもそも下限も上限も異なる、全く別な競技種目だ。

学校教師をつとめる吹奏楽の指導者が自分から、

「私は日本トッププロで『二線三線が良いとこだよ笑』と言い出す人の、更に下に過ぎない部活指導者です」

などと教え子に言う姿は、想像がつかない。

実力差はさておき、そもそも絶対に言い出すことはない(言い出したら学校教師失格だ)。

 

が、実力がプロの下限にあるなら、

技術や実力の立場など瞬時に読みとれる。

プロどうしがどう見ているか、100%カン付く。

これはアマチュアがいくら偉そうにイキり倒しても、

誤魔化しようがないほどの実力差が生じるためだ。

その圧倒的な差が、プロをプロたらしめているのである。

 

プロだからこそ、本音丸出しなのである。

忖度ゼロにしない限りは、投資対効果も品質管理もできない。

そもそも一瞬で判断がつくくらいじゃないなら、プロとは呼べないはずだ。

 

現実解。

「これはプロの仕事だな」と、

瞬時で判断がつく芸当に、お金と敬意が集まり続ける。

これは単に商品やサービスを消費するのではなく、

誰にも平等にある時間の制約の中で、

投資対効果が最も高いものを買うことに他ならない。

プロが本音ストレートで接するのは、

それがもはや息を吐くくらい当たり前であり、

意識せずとも涼しい顔で瞬時にできるからこそプロなのである。

boxcox.net、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
endoutakeru

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■遠藤武のやっていること■

・経営トップ向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて、仕組み化とデータ分析に関する見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています
(2024年8月に50回を超え、書籍化企画を進めています)

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