「センスがある・ないという差は、どこから出てくるのでしょうか?」
センスがない人は、我流でやらない方がいいところを、勝手に我流でやってしまう。
センスがある人は、当たり前のことを当たり前に学び、真似や知識回収から入る。
分析。
ビジネスの場合、「ゼロから始めてイチか100を創る、優れたアイディア」があっても、売り先や関わる先を間違えたりして「アイディアの価値をゼロかマイナスにする行動」をとってしまう人が少なからずある。
これを「センス不足だ…」と思ってしまうのは、悲しいほど早計だ。
勝手にセンスのせいにしてしまい、知識不足を疑えない発想こそがセンスのなさの表れである。
例えば、起業してフルオーダーメイドのBtoBの提案営業をする際に、BtoCの小売業経験をそのまま活かそうとしても、未来永劫相手を喜ばせることにはつながらない。
例えば、頭のいい人がビジネスモデルを作るため、目先で会えるだけの中途半端ななんちゃって起業家を協力先にしようとして、埋められない頭脳の差に辟易してしまうというのは、座組み以前の無意味な失敗だ。
これら2つの悪例は、我流で理路整然と間違ってしまう典型パターンだと言っていい。この経験だけで「自分には経営のセンスがない…」と思い込んでしまうのは、理路整然と間違った結論づけである。
1つ目のBtoBの悪例をよくするには、BtoBの経験がある人から徹底的に教えを得たり、BtoBをゼロから本で学ぶという過程が必要である。
2つ目のビジネスモデル協力先探しの悪例をよくするには、本当に信頼に足り、かつ価値観も近い経営者との座組みを得る必要がある。
これはセンスや才能ではなく、単なる先行事例とか基礎知識でしかない。
仮にこれを先行事例や基礎知識だと思えないなら、その人は自動車量の多い大通りで、目隠ししたまま自転車に乗っているくらい危険である。
交通安全の基礎知識は、センスとは関係ない。
現実解。
センスがないというのは、自分の知らない基礎知識を放置して、居心地の悪い事故を起こすということだ。
居心地が悪い場合、その場を離れることに一考の余地が常にあるものの、こと同じ間違いを繰り返す場合は、基礎知識不足の可能性も想定しておくといい。
追記。
基礎知識のギャップを放置してしまうと、そもそも文脈が読めず「気持ち悪い人」に成り下がる。
悪い意味で空気が読めない人というのは、単に頭が悪く基礎知識がないだけの人のことだ。
boxcox.net、遠藤武。