未来の目標を作って動くことが、未来に不安を感じないようにする基本だ。
とはいえ、多数の人は単なる目先のお困りごとに悩まされており、
未来づくりができないのもまた実情だが。
目先に囚われるのは、本能的な不安に押し負けていると言ってよい。
本能とは、ちょうどシマウマがライオンに狩られ、命の危険を恐れて逃げることである。
命の危険を回避する場合、本能による不安は正しい。
そうでなければその種は生き物として次の世代につながらないことになる。
とはいえ、人間社会で命の危険に晒されることは、事故や病気を除けば、そう多くない。
組織で嫌な思いをするということや、経済的に追い込まれることは、
確かに社会的生命の危機ではあるが、実のところ他の社会に「頭脳プレー」で別な場に移ればよい。
この点は、ツノや体格といった動物の群れの中での序列とは異なり、
より外側から認知し行動できる、人間だけに許された特権だと言ってよい。
ということは、不安の大半は命とはあまり意味がなく、
「未来がわからない」「現状維持したい」
というバイアスによる不安にとどまる。
不安は、学んで行動しまえばカバーできる。
動画でも本でも記事でも、内容を真似ればよい。
ハードルを徹底して下げてもよい。
少しバカになって、世の中を捉え直してよい。
少し背伸びして、世の中を捉え直してよい。
頭脳プレーの素晴らしいところは、
試行錯誤する段階で失敗しても、
死んでしまうことはないところにある。
未来を作るとは、試行錯誤していくことであり、
誰も答えを持っていない世界に向かうことだ。
水中の魚類が、陸上に上がって両生類になるときを想像すると、
酸素をどう取り込むか、重力にどう抗うかがあり
人間に置き換えれば筆舌に尽くし難い苦しみだろう。
頭脳プレーの場合、そのような苦しみはカットできる。
そもそも未来や将来なんて、
どうせ誰も答えを持っていない。
全ては仮説や思い込みに過ぎない。
だからこそ、孤独に気ままに楽しむ姿勢で、徹底して学んで動いてしまってよいのだ。
ということは、試行錯誤について、
危険回避の本能に惑わされて苦しむのは、
ちょっともったいないという話になる。
交通事故回避のために「危ない!」と叫んで突き飛ばすことは、
さすがにその場面こっきりの本能であって、
試行錯誤とはいえないものね。
現実解。
未来づくりにビビるのは、
危険回避の本能をついうっかり先行させて、
誰も答えを持っていない試行錯誤に当てはめることにある。
素直に言うと、両者は関係ない。
それでも不安が残ったら、
やせ我慢してでも不安を「関係ないよね」「どうせ死ぬことはない」と言い聞かせ、
本能を超え、未来づくりに方向性を向ければよい。
大多数が本能でビビるところを、
未来づくりで回避していくと、
勝って先に進むためのハードルが下がる。
99%は放っておいてもビビるのだから、
いちいちビビらないだけであっさり進む物事は、
実は少なくないと言ってよい。
boxcox.net、遠藤武。