投資の考え方。

daily11 スモール分析。

そもそも「投資」とは、

自分の立ち位置を上げることであり、本業が成長すること全般のことのはずだ。

investmentの語源に「服を着る/着飾る」という意味が中世から近代にかけて込められ、

それが転じて「投資する」という意味になったのは、素直に頷ける。

 

そうではなく、

なけなしのお金を、株式やFXなどの金融商品や、貴金属などのコモディティや、

不動産などに費やしてしまう時点で、投資を煽る勢の良いカモなのである。

これは着飾る以前に、カッコ悪いと言うしかない。

さすがに現代では単に着飾るだけでは厳しいが、

自分の立ち位置を高くするためにお金や時間を投じ、

脳みそや行動をプラスにしていくというのは、極めて理にかなっていると言える。

 

もちろんだが、基礎が足りていないとか、

煽り屋、群れさせ屋、情報商材屋、詐欺師にコロッと騙されるのは論外である。

この場合、まず投資すべきは、義務教育や高校レベルのリテラシーだ。

それを欠いてしまうということは、

信頼できて真似する価値のある情報源を引っ張れず、

投資以前の話であると、ありのままを認めるしかない。

あるいは、義務教育や高校レベルのリテラシーどころか、

大学や大学院レベルや、それを超えて専門家としての実力があるのに、

どうにもこうにもうだつが上がらないと言う場合は、

世間の大多数は、

「義務教育や高校レベルのリテラシーがない」

という事実をありのまま認めるところから始めるといい。

そこからポジションを作るために、自分の価値を整頓することに、異分野の書籍などを読んで投資するのである。

要は売れるコンテンツや知見というのは、

「リテラシーがない人向けに作られたもの」

であり、それはある種の暴露にすら似ている。

それもそのはず、誰かが描かなければ、

本当に必要な知識があり、それを心底必要としているにも関わらず、

たまたまリテラシーがないゆえにとうとう得られず、

解決策も知らずに死んでしまったというのでは、

何ともやりきれない話である。

 

逆に言えば、このラインを狙えば、「他の人の知的投資」の先生になれる。

内容が練られており、そして売れるものというのは、

「知らなければ、死んでいたかもしれない……」

「基礎がなければ、死んでいたかもしれない……」

というくらい、強烈なインパクトを淡々と与えるものなのだ。

 

現実解。

これを笑い事・他人事・遠くの話として気にせず放置するか、

これをギクリ!と気づくきっかけに変えて行動してしまうかは、

自分で100%決めればいい。

ひとつ言えるのは、

行動が減れば減るほど、

多数派に取り込まれるほど、

優等生として既存を踏襲すればするほど、

かえって鈍して貧してしまうという事実だ。

本当に優秀な人も組織ほど、

既存のあり方を大胆に否定していて、

そのおかげで更に突出していくから、

もっともっと成長していくのである。

多数派に取り込まれることをあっさりやめ、

変わり者として依怙贔屓をベースに生きるほうが、

実は全てにおいてプラスなのである。

投資とはそうやって変わっていくためにする営みであり、

その他大勢ではなくなるための創意工夫だと知っておくことで、

チャンスを掴むきっかけを、自分からあっさり作ることができると断言しよう。

boxcox.net、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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