「本気」の人生は次の一歩が具体的、「無気」の人生は次の一歩が曖昧。

daily11 スモール分析。

新しいことを始めたり、

悩みを解決に持ち込もうとする人は多いが、

上手くいく人が少ないのは何故か。

実のところ、本気ではなく、単に無気力だからである。

「本気」の反対は、嘘ん気でも弱気でもなく、

根本から何もない「無気」であり、

無気力のまま我慢大会に参加しているだけだ。

 

実のところ「無気」には具体性が乏しく、「本気」は必ず具体性がある。

 

まず、具体性がない「無気」の場合。

具体的な次の日時やアクションがないのは、

自分から開店休業や延期をしているだけだ。

その瞬間瞬間で無気力を積み重ね、

寿命の断片である時間を、排水溝に垂れ流すことになる。

つまりその瞬間は、行動ができず死んでいるのだ。

根本的な話だが、営業時間を明示しない店舗や事務所はない。

もしも営業時間にも関わらず対応ができない場合、

なんらかの事故に巻き込まれたか、

内部でなんらかのトラブルが起こっていることになる。

医師や弁護士のような立場はさておき、

事故やトラブルに自分から我慢してクビを突っ込み、

わざわざ営業を止める人はいない。

にも変わらず、行動しない状態を放置するというのは、

なんらかの事業に携わっているのであれば、死んでいるのと同じだ。

行動分析学では「死人には出来ない活動」が行動の定義である。

「死人にできること(=無行動)を行う」時点で、

その人や組織に血が通っていないのである。

 

いっぽう、具体性がある「本気」の場合。

本気であるとは、血が通って生きている証拠だ。

血が通った肉体であるからこそ、人間の脳も筋肉も動く。

動いて次の一歩を踏みしめれば、良し悪しはさておき、自ずと結果が出る。

本気だからこそ、脳をフル回転させて結果と向き合い、また動ける。

具体性があると成長していくのは、

一歩一歩をブラッシュアップするサイクルに、

淡々と乗っかれるためだ。

具体性がさらに具体性を呼び、好循環が起こるのは、

ついつい新陳代謝が活発になるということなのである。

 

こうして対比していくと、

一歩も動こうとしない人や、

一歩を曖昧にする人や、

具体性がない人は、

本気で挑戦して生き生きしている人からすれば、

「ああ、この人は無気で死んでいるのだな」と一発でバレる。

それだけ具体性というのは重要であり、

具体性がある人からすれば、曖昧にする人は無気で無力で無能だ。

コーヒーやアイスクリームの注文も、すべて具体的な内容である。

契約書も支払期限も、すべて具体的に内容や日付がある。

執筆も、すべて具体的に締め切りが決まっている。

お店に入って冷やかして何も買わないと、確実に嫌われる。

支払期限に遅れるというのは、ビジネスにおいて論外だ。

執筆の締め切りが守れない作家は、業界から消える。

 

ここで、本気で悩んでいる人のために囁くと、

本やデイリーレポートを読んで、

「これはヤバい!」と思える人は、

ちゃんと生きている人であり、

具体的に行動ができる人だ。

「これはヤバい!」と本気で実感し、

次の一歩を具体的に本気で踏み出せるからこそ、

同じく本気で生きている人から具体的に応援される。

 

そうではなく、もしはぐらかすなら、

それは本気で悩んでいることでもないし、

困っているフリをしているだけだ。

実態は、困っていてもその他大勢として、

「お困りごと我慢大会」人生を自分で選んでいるだけなのだが。

 

我慢大会に参加するもしないも、個人の選択であり、

いちいちとやかく言うつもりはない。

私の執筆も仕組み化も、他の行動も、

全ては「お困りごと我慢大会」人生を本気かつ具体的に脱したい人のために届けている。

「お困りごと我慢大会」に自分から参加し、自分から嫌々生きていくことを否定する気は一切ない。

積極的か消極的かはさておき、自分で選択している以上、それもまた人生だ。

 

しかし、せっかく自分で選択するなら、

お困りごとを解決して楽しく生きていくことを選択したいと思うのが、

人間の本音ではないだろうか。

私はというと、せっかくこの世に生を受けたのだから、

退屈な我慢大会などお断りだし、

本音でお困りごとを乗り越えて成長したいし、

本音でお困りごとを出してくる人を命懸けで応援したい。

そのように妄想と行動を継続できる人は少数派だが、

せっかくなら少数派として突出する側に周りたいのが、

私のまごうことなき本音だ。

もしプロとして向上心があるなら、

成長意欲を出したり引っ込めたりするのは、

プロ失格の行為であり、自分の価値を下げてしまう。

プロ野球選手でも、プロの漫画家でも、プロの士業でも、プロの経営者でも、

自分のプロとしての分野で、ファイティングポーズや熱量が欠けるというのは、

とてもカッコ悪く、そもそもありえないと思うのだが、いかがだろうか。

 

現実解。

本気で次の一歩を具体的にしていくか、

無気で我慢大会人生を過ごすかは、

すべて自分で選べばいい。

我慢大会が嫌なら、粗くとも細かくともかまわないので、

具体的に切り分けたり、具体的に言語化して、

一歩動く判断と決断を繰り返せばいい。

 

追記。

特に最近流行っている「新規事業を作る」ケースは、無気を確実に排除するか避けていく必要がある。

具体性と熱量・熱狂がないなら、新規事業は大人数のエネルギーとコストだけを使って、徒労に終わると相場は決まっている。

既に本気で取り組んで新規事業を成長させた人からすれば、「コイツはダメ。ボツ。伸びない」と、一発で全て見透かされる。

boxcox.net、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
endoutakeru

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詳細は上記リンクを参照
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■遠藤武のやっていること■

・経営トップ向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて、仕組み化とデータ分析に関する見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています
(2024年8月に50回を超え、書籍化企画を進めています)

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