肩書きをたくさんつけるのは、B層に向けた手法。

daily11 スモール分析。

「肩書きがたくさんある人は、何をもって肩書きをそのようにしているのでしょうか?実力について疑問が残る人もいる中、やたらと見かけるケースが多く、何か秘密があるのかなと思っていますが、遠藤さんはどのように見ていますか?」

 

もう何らかの形でバレているから、率直に言ってしまいます。

肩書きがウジャウジャとたくさんある人は、

その人にそこまで実力がなくとも、

情報弱者であるB層を煙に巻くビジネスモデルとして効率的だからこそ、

単に経済合理性でそうしているのです。

断じて興味関心がたくさんあるとかパラレルワーカーという意味ではありません。

簡単に言うと、メダカをクジラに見せているだけなのです。

ぶっちゃけて言うと、何をやっている人か悪い意味でわからなくなるのが特徴です。

 

その筆頭格は、自分で作った企業の経営者や、一般社団法人であり、今も昔も変わりません。

最近ではこれに次いで、曖昧模糊とした分野の〇〇学者や研究者や教授が挙げられます。

(かつては名誉教授や名誉博士が多くありましたが、さすがに下火になったようですね。)

B層向けにわかりやすい権威付けをしている人は、

なんとなく凄そうな肩書きが多数ある方が、

博識に見えるからこそ、そのようにしているのです。

実際のところ、このような肩書きの当事者は、

基礎力のない分野で無理をしてしまったり、

あるいは外注や下請けを扱って個人の実力などゼロに等しいのですが。

 

これらのウジャウジャ肩書きの共通点は何でしょうか。

基礎のいらない分野であり、自作自演が容易に可能であるという一点につきます。

特徴を表すと、

×経営者、社団法人の代表理事
→基礎も実績も職歴もいらない(登記すれば誰でも名乗れる)

×曖昧模糊とした分野の〇〇学者
→基礎学力もアカデミックスキルもいらない(実績がなくても誰でも名乗れる)

という具合に、

実績なしに見せ方だけで通ってしまう分野なのです。

見せ方を強める行動力はまさしくあっぱれであり、

ビジネスモデルとしてよくできていますが、

B層を煽るという事実はいささか変わりありません。

このようなビジネスモデルに関わっていても、

自分の実力を高めることはできないと断言するしかないのです。

 

では、本気で実力をつけたいという勉強家は、

何をよりどころすればいいでしょうか。

ストレートに言うと、習得に一定以上のコストがかかり、

実績を自作自演することが極めて難しいという分野に集中するといいでしょう。

例を挙げると、

・医学(押し広げる場合は歯学や薬学も含む)
→古来より代えがきかない分野である

・数学、自然科学(物理学・化学・生物学・地球科学)
・工学全般(電気電子、計算機科学、土木、機械)
・統計学(上記及び、社会科学・人文科学の適用範囲全般)

→基礎が共通しており、数学や統計学を軸に、全方位に横展開できる

・法学、会計学
→社会やビジネスの根幹を成しており、かつ歯ごたえがある

という分野が挙げられます。

また、もう少し押し広げると、

・音楽、美術、哲学、古典文学
→お金にならず、権威性をつけることが難しい

という分野も挙げられますね。

 

上記の分野にかすりもせず、特に自作自演を軸とし、メディア分野だけや、ビジネス分野だけや、あるいは複合していても曖昧模糊とした分野の研究しかない場合は、ちょっと厳しいかと思います。

単なる自作自演を回避するには、

ビジネスの場合は規模と質が重要で、

・大きめの組織(最低ラインで年売上高2000〜3000億円)や外資企業での主要ポジションの経験
・ゼロイチ立ち上げからの急成長(最低ラインで、ゼロから数年で年売上高40〜50億円に達して100億円を視野に入れるレベル)の経験
・研究開発分野の経験(大学での研究にシフトできるもの)

ができれば複数欲しいところです。

このレベルになれば、よほどでない限りは単なる自作自演でごまかすことができず、上位1%をクリアしていると言って構いません。

少なくともこのレベルや、これに近しいレベルに達していれば、自作自演せずとも市場から目をつけられ、自分の実力を継続的に発揮する場が得られます。

そのような実力に達すると、わざわざ肩書きを複数持つ意味がゼロになり、孤高に淡々と楽しく行動することができるのです。

また言うまでもありませんが、上に書いた分野やそれ以外の分野において、何かを徹底的に1つに絞って、知的好奇心のままに行動していると、おのずと横展開していくまでが成長の流れです。

この場合も、わざわざ肩書きを複数持つ意味などなく、不自然な展開なども不要であり、実力のまま孤高に淡々と行動することができます。

もちろん、知的好奇心や知性がないままでは、ビジネスでこのレベルをクリアしていても、それ以上成長することがなく落ちぶれてしまうケースが多々ありますから、ビジネス一本槍というのは気をつけなくてはなりません。

見方を変えれば、最後はメディアでもお金でもなく、知的好奇心という実力勝負になる、面白い現象だと言えますね。

 

現実解。

繰り返しますが、肩書きを複数持つことは、一種のビジネスモデルであり、

それそのものがお金になると言って差し支えありません。

本当に実力がある人は、自分の実力がそのまま自分の名前1つにシンプルに集約されるのです。

それをないものねだりしているのが、ウジャウジャした肩書きなのです。

だからこそ、ひとつひとつを分解して見てみると「えー!こんな人になんか何も言われたくない!」という程度の実績しかありません。

もう令和も5年経って、平成のやり方は古臭くダサくなり、通用しなくなりました。

にも関わらず、このようなビジネスモデルが今もなお続いている事実は、

ゴテゴテした肩書きでB層を捉えてお金に変える経済合理性があるためです。

とはいえ、ちゃんと実力があり素直に発揮できていればあれば、すごくシンプルな肩書きに経済合理性が生じ、ゴテゴテ肩書きなど一蹴します。

そもそも、名実ともに凄腕の実績を残す側に立ってしまえば、ゴテゴテ肩書きなどいらなくなるのです。

実はゴテゴテしている人は、ゴテゴテを途中過程として、成長後にあっさり捨てればよく、変わることができない惜しい存在なのです。

本当にすごい人は、個別や断片をとっても、上で挙げた分野や実績に関わっており、かつ全体で見ても一級品です。

例外なく、途中で変わり身しています。

もともとバラバラだったかもしれませんし、残念な発言が多かったかもしれませんが、すごくなったあとは決してゴテゴテも自作自演もしません。

そのような人は、わざわざメダカをクジラにするような祭り上げ方とは無縁です。

このほか、決してゴテゴテしない面白い「座組み」を持つというのも手であり、他力に頼ってしまってもいいのです。

実力がメダカサイズでしかない人が、無理やりクジラのように面白おかしく祭り上げられる経済合理性ではなく、

「座組み」でメダカがクジラへと変身したり、異次元に成長するほうが、尊いのです。

経済合理性だけでない、実力発揮の話になってくると、

本当に実力がある人どうしのつながりである「座組み」が見えてきます。

デジタル化やAIで、だいたいのことは便利に過ごせてしまうからこそ、

人間にしかできないアナログな実力が、思いっきり浮き彫りになるのです。

このレベルまでくると、表面的な肩書きなど邪魔になり、

1人の実力者として扱われるようになります。

メダカをクジラにする演出だけで終わっているのか、

はたまた本当に実力がありクジラすら超えたリヴァイアサンなのか、

本物を見分ける基準がおぼろげながらも見えてきたら、

その人には審美眼という実力があることになるはずです。

boxcox.net、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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