中高生の地理で教わる「モノカルチャー経済」とは、一国の産業が1つか2つの農産物や鉱物の輸出生産に特化した状態である。発展途上国によく見られる、市場の中で弱い状態だ。
この「モノカルチャー」をそっくりそのままビジネスに当てはめると、売上高が一社依存化や業界特化している下請け企業や、これ以上待遇が伸びないサラリーマンが挙げられる。
最終的に、ぼんやりした専門や特化で輪切りにされた、忖度だらけの下請け作業しか回ってこなくなるまでが一連の流れだ。
企業でもサラリーマンでも、一社依存や業界特化依存というモノカルチャーは、よほど突出しない限り、どこかで実力のいらない作業代行どまりになる。
いち業界内での、システム導入代行や、内向きな資料作成代行が、まるで普遍的な価値かのように錯覚してしまうのは、業界に飼い慣らされていることに他ならない。
そうではなく、本質的な価値は「欲しい!」と言ってもらうことであり、外向きに自在に価値を作れるからこそ成り立つ。
これは知的生産の超基礎だが、内向きに飼い慣らされてしまうと、今回の人生では一生気づけない事実である。
特に金融やコンサルやITは、思いのほか内向きなモノカルチャーだ。
これらの業界から新天地に向けて出て行かない人は、自分のやっていることが「作業代行者」「下請けマインド」だと気づかない割に、実力も立ち居振る舞いも残念なケースがかなり多い。
目下、人が増えてきている分野なので、関わる際はこの事実に要注意。
現実解。
モノカルチャーですさんでいる企業や人は、一社依存・一業界依存・下請けと無縁な人からすれば、すべて一発でわかる。
特徴として、やたらねちっこい言い方やビヘイビアばかりが目立つ。
もっと素直なビヘイビアなら、モノカルチャーを脱して実力がつくのに、自分から実力をつけるチャンスを放棄しているんだよね。
追記。
企業や人がモノカルチャーを脱するのは、比べるのもおこがましいほどに、途上国のそれに比べハードルが低い。
さっさと既存の価値からドロップアウトして、自分の価値を作ればよいだけだからである。
実力があってドロップアウトした人は素直であり、ドロップアウトせず一つにしがみついている人は素直さに欠けていく。
その差が常に広がり続けていくことは、想像に難くない。
どこかで意図的にドロップアウトしない限り、ガクブルしながらの一社依存や業界特化依存は一生続くと思っておこう。
追記の追記。
文字通り、素直に異文化から学び続けるなら大丈夫。
boxcox.net、遠藤武。