「個の時代」という言葉が広がって久しい様子だが、
この正体は、実力×座組みであり、圧倒的な実力を発揮できる場所を確保することだ。
要は座組みを作って、1+1>2や、1+1+1>3となるように持ち込み、学んで挑戦を続けて孤独に成長することである。
シンプルに言い切ろう。
「好きなことで生きていく!」という、個の時代を象徴する文言は、プラットフォームで群れさせる企業の売り文句や甘言だとバレ切った。
「個の時代は嘘!」「個の時代は過渡期!」という逆張りは、この反動を狙った我田引水である(これを実名で言う経営者がいるなら、それは個の権化として自家撞着している)。
どちらも、事実を隠しているのだ。
結局は、圧倒的な実力を発揮できる人向けのニッチな競技種目が、「個の時代」なのである。
これはアスリートとして活躍しているから有利とか、テレビに出ているから有利とか、誰にでもわかる目先の話ではない。
学ばない人、挑戦しない人、群れる人は、自動的に没落していく。
「大変な時代に生まれてしまった…」
デイリーレポートを読み、あなたはそう思うかもしれない。
それは100%正しい。
正しいからこそ、
一旦息を大きく吸って、
ゆっくりノビをしながら吐こう。
正しさより、面白さのほうが、心を打つと気づこう。
事実を言うと、他の誰もが、
「大変な時代に生まれてしまった…」
と同じ思いを抱いている。
「個の時代」の売り文句も、
その逆張りへの苦労も、
そこに市場があるから書いている(あるいは後ろにいる投資家がそう言わせている)だけだ。
どこかに仕掛け人がいるのだ。
私のように、本音をベースに面白く仕掛けていく場合もある。
そうではなく、美辞麗句の上っ面で仕掛けていく場合もある。
いずれも市場づくりだ。
どんな市場を選ぶか、自分で決めていい。
これは言い換えば、
あなたにしか作れない市場を作ることだ。
マーケティングの本筋だ。
市場には、お客様も協力者もいる。
一人のアイディアに対し「何それ!すごい!面白い!」と複数人が集まることが最小単位だ。
人気のケーキ屋やレストランに、ひっきりなしにお客様が集まる情景を想像してみよう。
その場に良さを感じるからこそ人が集まる。
現実解。
1対複数という、とても古典的な影響力や実力の話が、実力と座組みの本質だ。
「個の時代」も、「個の時代逆張り」も、古典的な目線でみれば、本質が曖昧で幾分不自然かもしれない。
boxcox.net、遠藤武。