「刺激がない」「変化が欲しい」という人はよくいるが、
変化を作るのは実はシンプルで、今までと違う場所を身を移せば成立する。
実はこれは、学びと懐疑で達成できる。
学びの話。
日本人の大多数の仕事では、外国語(特に英語)を使わず、数学を使わないから、
そのどちらも使い、かつ立場の高いポジションにつけば、待遇も風景もガラリと変わる。
学びの本質は、今いる場所を離れることなのだ。
多くの人が思っている以上にシンプルなのと、
動画やデータ分析で学ぶハードルはとても下がっているから、千載一遇のチャンスである。
学びの過程でぶざまな失敗があっても、それでいい。
仮に「うわぁ…これはマズい…」と赤面するような大失敗があったなら、
それは天の声が、背中を蹴飛ばして今いる場所から送り出してくれているのだ。
懐疑の話。
この学びは、いずれも基礎的な科学にアプローチするための下地であるが、
科学や工学が好きな人の大多数は、常識を疑わず、既存の模範解答に留まっている。
その理由はいろいろ考えられるが、個人的な興味関心だけでなく、工学系に特化したタコツボ型の技術専門職という文化が影響している可能性が高い。
(これは技術専門職に限らず、一般的な就職やキャリアでも全く同じことが言えるのだが。)
ならばその真逆を取り、ちゃんと疑って、一定の合理性や妥当性を根拠にスキを突いてしまえばいい。
技術やスキルを他の分野に転用して、まだ解決されていない問題を解いたり、
自分のキャリアを「誰も見たことがないもの」という切り口でプラスにしてしまえばいいのだ。
このような懐疑は、分析の一種だと言い切って差し支えないのと、
学びに自ずとフィードバックされていくから、
今いる場所から離れていくことになる。
この2つから言えること。
年齢の数字が上がるほど「実は変化を求めていながら、現状維持だった…」というケースが出てくる人もいる。
(特に、他人が作った音楽やストーリーや常識を金魚鉢の中で追いかけるだけで終わり、自分に作り手や当事者として大海を自由に泳ぎ回る目線が薄いケースがこれだ。)
これは単に「学び不足」「懐疑不足」であり、もともとは少し変わっていた人の切れ味が、後天的に鈍っただけである。
現実解。
「これは自分のことだ…マズい…」と感じる人もデイリーレポートの読み手にいるかもしれない。
まずは、そう感じた自分を認めてあげよう。
その上で、学びと懐疑を自由に楽しく、もう一度やってみよう。
つまるところ、想像と創造を楽しむことが変化の軸であり、
それを果たしている人はいちいち他人のせいや年齢のせいにしないのだから。
ボックスコックスネット、遠藤武。