よく混同されるのだが、「ディベート」と「ディスカッション」は根本から異なる。
「ディベート」は、政治や教育や競技種目として勝ち負けが定まる狭い内容である。
「ディスカッション」は、着地点や落とし所を探る対話の過程であり、知識の習得や、一人でもできる自己内対話も含まれる。
私は根っからのめんどくさがりで、本来は人と話すのも苦手であり、
いわゆる「ディベート」という競技種目には興味が持てず、パフォーマンスだとぼんやり感じていた。
いっぽう「ディスカッション」は知的生産であり、論文作法や洞察出しや、知識習得(アクティブラーニング)までも含み、かつ執筆の手法でもあると知った。
「やった!これだったら勝ち負けもなく、人との対話も自己内対話もあり、執筆や分析や知識習得もできる!一生使える!」
とハマり、ひたすら読書と議論と自己内対話に明け暮れた。
大学の少人数講義では議論を重ね、講義外ではレポート執筆のために自己内対話と読書をする必要があったためだ。
つまるところこの過程は、文献や数式を読みこなして活用するチカラでもあり、文章にまとめて議論をするチカラでもあり、
かつ目の前の価値観を疑いながら、模範解答のない価値をつくるチカラでもある。
その結果として、データ分析や技術開発や事業構築に行き着いたのだが、
結果的に知恵や知識に困らなくなり、もう少し抽象度を下げたキャリアや仕事でも、
全て予習から独自の知見提示ができてしまった。
現実解。
迷った場合、読書しながら自分とディスカッションしていい。
これは知識回収しながら自分を省みることも、その逆をとることも
学習の手法であり、独自の知見をつくる行動でもあるのだから。
ボックスコックスネット、遠藤武。