ヒト・モノ・お金という事実を淡々と分析できるため、いちいち感情をあらわにしない。
自分とその周囲を、誰がどのように利するかが事実から明確にわかり、人の実力を超具体的にゴール逆算で判断する。
淡々と動き、価値を出すために聖域のない分析と行動を堂々と(ただし仲間内だけで)行って、事実をありのまま認めて決断するゆえ、その他大勢から冷酷に思われる。
現実解。
成長が冷酷に思えるのは、単に成長している人の事実認識の水準が、超具体的に高いゆえのことだ。
これらは具体的に大企業で行われているデューデリであり、昨今では起業した人も当たり前に行っている。
大企業の就職や転職の面接も、そのあと実績をだすことも、これよりもはるかに厳しく事実が見られるもの。
追記。
受験のときの思い出。
世界史の参考書で知ったが、
古代ローマのユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)は、
「ハゲの女ったらし!」
というように、事実をもとに罵られていたが、も気に留めていなかった。
水準の高い人物とはこうあるべきと直感した。
ボックスコックスネット、遠藤武。