「これってこう考えるのが当たり前だよね!」
と思い込んでしまうことが、
実は最もリスキーである。
これは2つの意味でリスキーであり、
・当たり前の物事に、囚われる
・そもそも何が当たり前や基礎だか分からないのに、当たり前や非常識を振りかざす
という切り分けができる。
前者は単なる「常識人というだけ」だから、よくある話だろう。
あまり多くを語る必要はない。
後者は「基礎不足」と「常識」と「非常識」が混ざってしまうから、タチが悪い。
「『常識を疑え』と連呼しているけど、この人は基礎不足なのに何を言ってるの…」
とツッコミたくなるドンマイなケースがこれだ。
わたしはこのような不器用な人は嫌いではない。
だからこそ声を大にして言い切ろう。
一定の基礎がある中で常識を疑えると、
その場で別次元の成長が始まる。
基礎とは、義務教育レベルの知識で十分だ。
基礎の目安は、公立高校受験の入試問題で8割正答できるレベルである。
5科目全部のハードルが高いなら、まず社会か国国語のどちらかで、
8割正答出来るくらいの知識をつけるといい。
普段の語彙力や文章力が、その場でレベルアップする。
どのような理屈で世の中が動いているかがわかる。
よくある話だが、当たり前だと思っていたことが、
実は基礎知識に照らし「当たり前ではなかった」とアップデートすることなど、多々ある。
現実解。
アップデートする瞬間は、スカッとするから、出来るだけ早くに経験しておくといい。
リスクから解放される爽快感だもの。
追記。
基礎知識がある上で、ちゃんと疑える場合、それは人類や科学の発展に貢献できる。
プラスの意味で、スカッとするどころの話ではない。
ボックスコックスネット、遠藤武。
