「部下は何が何でも守る」こと。
それを淡々と言行一致すること。
上司の仕事とはそれだけである。
現実解。
一番最初のサラリーマン時代の出来事だ。
言葉と行動で、そう教えてくれた上司がいた。
その上司は、リーマンショックの煽りで、外部から顧問として来てくれた60歳くらいの人だった。
某最大手企業本社のコア部門の部長を務め、在外子会社の代表取締役を経ている。
慶應志木高校(農業高校だったと言っていた)から慶應義塾大学商学部を出身した毛並みの良い人だった。
厳密に言ってしまうと、当時勤めていた会社の上司ではないのだけれど、
新規事業立ち上げの歳、自分の務めていた会社の社長も知らないノウハウやコネを持っていたため、
自分はその方の部下として行動を共にしていた。
「年収が低く、将来が見えなくて、もう嫌だ。」
そんな思いばかりが募っていた当時、その上司はこともあろうに、
上司の出身会社の某部門に、僕をねじ込もうと動いてくれたのである。
「この部門に入れば、いずれ財務部門に行くような人事になるだろう」とまで教えてくれた。
リーマンショックの余波で、その会社に余裕がないために、これは実現はしなかったが、
そんな理屈が通じてしまうことに、当時の自分はまず驚く以外になかった。
このほか、帝国ホテルで鉄板焼きをご馳走してくれたり、
人脈を使って色々な会社の取締役クラスの人たちと複数会わせてくれたりと、
枚挙にいとまがないとは正にこのことである。
この他、その上司と出身会社を同じくする協力者が複数いたが、みな同じ発想を持っていた。
率直に言って、この上司の立ち回り方は、どう見ても経営者のそれである。
もっとも、このように昇進し、50〜50歳で子会社の経営者に回れる組織とは、
もはや昭和の遺産であるから、平成から令和に掛けてもはやほとんど見かけることがないのは仕方ないが。
自分は、この会社をやめた後にサラリーマンとして移籍し5社以上を経験したが、
この方を超える器の上司や管理職には、とうとう出会うことはなかった。
独立してからも複数の中小企業から大企業までと関わっているが、
その域に達している上司の役が出来る人を、未だ一人も見ていない。
立ち居振る舞いや言動からして、その上司と比べると、
何もかもが「上司ではなく、ただのサラリーマンのボスじゃないか」と残念に見えてしまうのだ。
今思い返しても、自分で自分に嫉妬するくらい運が良すぎるご縁だったと断言できる。
「最大手会社、その子会社、その孫会社、その下請け、その関係会社、その顧客…」をサクサクと訪問し、
いずれも生々しくグレードがあることを20代で一次情報として教わったが、
この数年間には1億円以上の価値の学びがあったと確信している。
もっと聞いておけばよかったことがたくさんあり、悔しい思いを何度もしている。
だからこそ、何度も反芻し思い返し、「この上司だったらこうするだろうな」という視点から、
本を読んで学ぶこともできているから、この上司の仕事は十分に正しかったと言える。
言行一致できる仕事をすることが大事だと身を持って教われば、
いつでも思い返し、補完することで教わり続けることができるんだよね。
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遠藤武