「これは違うな」
そう思う過去があったら、
・方法を変える
・関わる人を変える
・分野を変える
以外にない。
ここで言う「変える」は、51%以上を変えることだ。
改善ではなく、延長線上を消し去ることだと言える。
目の前で起こっていることは全て正しく、
過去は全て善き存在なのだ。
学んで行動して51%以上を変えるとは、
どんな過去も善き存在として愛でながら、
過去からきちんと卒業することである。
そのためには、
相手の脳天にイナズマをズドン!と落とし、
「これはすごい!」という感覚を、
超絶オーバーフローさせることを、
私のポリシーとして最も重視している。
細かく求められたら細かく話すし、
シンプルさを求められたら徹底して圧縮する。
そういうスタンスでデイリーレポートを書いている。
話したり読んだりしてピンと来た人が、
「これはとんでもない…たまげた…やってみよう…」
と自然と前向きに行動してくれれば、それでいい。
ズドン!を出す視点として、
「特定の誰かに向けてだけ書き連ねる」
「知識と経験を執拗に組み合わせて常に上位互換する」
ことが重要だ。
そもそも、すべてのデイリーレポートは、特定の誰か1人に宛てて書いている。
結果論として、51%以上を変え、過去から卒業できればそれでいい。
関わってくれた人のうち、1人にだけズドン!と刺さってくれれば、それでいい。
これは、執拗なまでにひたすら、
脳みそに汗をかくということである。
独自の基準は、
「メリットがあるのに、もはや悪戯と区別がつかない」
という感覚を、話し相手や読み手から呼び出すことにある。
メリットがあるなら、悪戯は悪戯にならない。
インプットをオーバーフローさせれば、
アウトプットも程なくしてオーバーフローします。
そうやって訴求することは、究極の知識欲の発露であり、
それは私にとっては究極の悪戯であり、過去からの卒業だ。
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遠藤武