これは、大人が更に成長するための必須科目だ。
ライバルは、好きな玩具を目の前にしたときの、小学生くらいの自分としよう。
ライバルの特技は、目の前の物事をついつい自然に楽しむことなのだから。
現実解。
セルフエンタメとは、要は自分で自分を楽しむ演出ということだ。
何も、エンターテインメント分野に強くなれということではない。
目の前の物事を、出来る限り楽しむことにある。
「ラクをしろ」「柔軟になれ」「楽しもう」「工夫しよう」
これは、私が楽器を習っていたときによく出てきた単語だった。
高校の吹奏楽部で全国大会に出て、普門館の大舞台に乗る機会があったが、
この本質は、勉強でもビジネスでも執筆でも一切変わっていない。
音楽を楽しむことで吹奏楽の全国大会に出たのだが、
自分で自分を楽しむ演出が常にあったからこそ、
ハードワークを継続できたと言っていい。
中学校の吹奏楽部で、指導者の転任直後、
急に全国大会に出てしまうケースがあるが、
指導者が自分たちで自分たちを楽しむ演出をしているからに他ならない。
誰と競争するでもなく、あっさり自分たちの世界を広げてしまう。
この本質は、誕生日やクリスマスのプレゼントを楽しみにして眠れないでいる小学生と、同じだ。
セルフエンタメの一番わかりやすい例と言っていい。
その逆で、ねちっこく「気分下げワード」を繰り返し、
気づかずさげまんに身を置いてしまうと、物事を楽しめなくなる。
面白いことに、吹奏楽部で「怒鳴り散らし」に逃げているような学校は、
それがそのまま音色とコンクールの成績に出ている様子だった。
セルフエンタメとは、真逆のスタンスだ。
吹奏楽部に限らず、日常において、
「苦労しろ」「絵空事を言うな」「現実を見ろ」
「苦節○○年」「でも。。」「けれど。。」「。。。」
という、つい出てくる言葉は、人生の成長を楽しんでいないスタンスだ。
これらのボキャブラリーは、一切使わないほうがいい。
それを他人にそのまま告げる人とは、関わる必要はない。
少なくとも、現代の教育や心理学について少しでも知識があるなら、絶対に言わない単語である。
シンプルに言えば、上の「気分下げワード」は、単なる知識不足だと言い切って構わない。
単に教師や講師に、物事を前向きにいざなうための、知識と経験が足りていないだけである。
教える上で、生徒を楽しくさせることが、成長には必須であることをまず知ろう。
自分で自分を成長させること上で、楽しくも役に立つからだ。
苦労に逃げるのは、退屈だ。
自分で自分を楽しくすることに逃げるほうが、
人と比べる必要もなく、絶対的に楽しい。
boxcox.net、遠藤武。