馴れ合いで息が詰まる人は、少なくない。
馴れ合いで息がつまったら「友達の数の多さを誇っていいのは、どう見積もっても10代まで」だと気づこう。
一定の数に揉まれたら、あとは存分に孤独を楽しめばいい。
現実解。
成長するには、図々しさが必要だ。
学ぶことも、就職・転職することも、独立することも、
全ては自分から「こうありたい!」と言い出す図々しさからやってくる。
桃太郎は「鬼退治に行く!」と図々しく言ったからこそ、
きびだんごを介してイヌ・サル・キジが仲間になり、
目的を同じくする者同士で共闘し、目的を果たしたのだ。
他方、馴れ合いに終始すると、成長できなくなる。
そこに同調圧力があり、考えることをやめるからだ。
「鬼退治に行く!」と言って、
「お前に出来るわけ無いだろ!」
「そんなこと考えたこともなかった」
と言って気分を下げてくる人は、
もはや友達ではないどころか、
関わるだけ時間の無駄である。
もし仲間なら、言うべきは、
何が足りていて何が足りていないといった、
建設的な発想であって、
頭ごなしにでもやんわりでも、
一方的に終わらせるのは、はっきり言って拷問だよ。
でも、何となく馴れ合っているだけだと、
同調圧力で図々しさは排除されてしまう。
図々しさはエネルギーだからこそ、
エネルギーに蓋をされて嫌な思いが残る。
これは学生でもサラリーマンでも専門職でも経営者でも、全く同じだ。
そんなセルフ拷問は、今この場であっさりやめよう。
眼前に広がる世界のレベルが低いなら、
さっさとレベルの高いところへ自分の身を置けばいい。
使えるものは使い倒して、嫌なものは放っておけばいい。
活用って、世界を自在に切り分けることだよ。
馴れ合いに流されて、本来見つめるべき物事を見ていない。
その時の言葉は、はっきり言って知識不足だ。
知識不足は、あまりにももったいない。
何となく馴れ合うヒマがあるなら、
知識不足を徹底的に回避してしまおう。
そうやって愚直に過ごし、
代えの利かない存在になるほうが、
スッキリするんだよね。
boxcox.net、遠藤武。