「少し難しいな」と感じたら、切り分ければいい。
苦手意識があるものでも、分かりやすく切り分ければ、楽しめる。
切り分けを通じて、全体像が見えたら、自分にとってのチャンスだ。
現実解。
英語を、まず英文法や英単語を軸として学ぶことは、切り分けの典型例だ。
言語の全体像に行き着くための工夫だと言っていい。
これは数学でもプログラミングでも、
解決すべきビジネスや人生の問題でも、
さほど大差はないと言い切って構わない。
もしロジカル(論理的)な切り分けが自分の感覚にハマらないのなら、
エモーショナル(感情的)な切り分けをしてもいい。
英文法であれば、絵で説明している参考書を読めばよい。
数学であれば、ビジュアルでわかる例から入ってもいいし、
数学史からイメージを作ったって構わない。
入口で一見矛盾していても、出口で辻褄が合えばそれでいい。
要は、乗り気がしないのなら、
ついうっかり乗り気がするように、
自分で切り分けて変えればいいだけだ。
切り分け方も表現方法も、
この世界に存在する人間の数だけある。
切り分けを通じて、
自分にとっての学ぶチャンスが出来る。
これははっきり言い切ってしまえば、
自分に対する愛情表現なんだよね。
そうじゃなきゃ学ぶことなんて絶対に出来ない。
切り分けて分かりやすくする思考と行動は、
自分の自尊心を満たしてくれるのだから、
単にそれだけで幸せになれる。
これ以上の愛情表現は存在しないよ。
自分の世界観を、
他者にわかるように切り分けて送り届ければ、
それはもはやラブレターだ。
マーケティングって本来はそうやって行うものだよ。
堂々と図々しく、自分がわかるように切り分けてしまえばいい。
その上で、目の前の相手にも伝わるように切り分けてしまえばいい。
自分か相手か、どちらが先でも構わないから、まずは見切り発車で切り分けてしまう。
少し世間からはみ出さないと、切り分けることすら出来ないから、
やっぱり図々しくないと出来ない。
でもケーキの切り分けではお互い譲り合う。
図々しさの割には、それくらいのあっさりした適当さを許容する。
もちろん、どこかに子供じみたところがあってもいい。
人間の矛盾やグレーゾーンを認めるからこそ、
あっさり切り分けることで、全てを許容して楽しめるんだよね。
boxcox.net、遠藤武。