誰かのせいにすることの本質は、心の防御である。
どうしても辛いなら、瞬間的にいかに見苦しくても、一旦誰かのせいにすればいい。
辛い気分を落ち着けてから、自分に問題の原因を求めて、根本的に立ち直ろう。
現実解。
問題を誰かのせいにしても、問題は全く解決しない。
それどころか、誰かのせいにし続ける人は、例外なく真っ先に落ちぶれる。
誰かのせいにするとは、要は論点を隠した馴れ合いだ。
ただし、
「誰かのせいにすることとは、心の防御や身のかわし方である」
とわかりきっているとしよう。
敢えて誰かのせいにして、真っ先に心をケアすることは、有意義であると言いたい。
自分に責任のある仕事での大失敗だろうと、
自分の実力不足が原因で人に馬鹿にされたことだろうと、
お構いなく人のせいにすればいい。
心が一旦やすらぎ、イニシアティブが取れるなら、
心が落ち着かず、つい同じことを繰り返すより、遥かに有意義である。
問題解決は、そのように失敗率を下げてからでも間に合う。
いくら卑怯と言われようと、自分の身の回りの安全は、何事にも代えがたい。
boxcox.net、遠藤武。