日本だと明治時代くらいまでは、黒猫は福猫。
イギリスの一部地域では、黒猫は幸運の象徴。
欧州大陸では魔女狩りの対象であった状況と、対象的。
現実解。
よく、黒猫が横切ると不吉だ、と言われるけれど、
この解釈は実は時代と地域によって異なっている。
場所と時間によって、
常識なんてあっさり変わってしまう、
身近でわかりやすい好例のひとつだ。
つい不吉な予感がよぎるのも、
大多数は単に直近までの思い込みに、
「不吉だ」と知覚させられているだけだ。
ぼんやり思い浮かんだ目先の常識や思い込みを、
納得の材料として、ついうっかり使いたがるのである。
ここで言いたいのは、
単に「黒猫を怖がるな」とか、
「ゲン担ぎなんて意味ない」という精神論ではない。
黒猫を怖がる必要はないが、
ゲン担ぎとはシンプルに言えば思い込みであり、
ならば思わぬ形で思い込みを味方をしたほうが、
お得だよという話だ。
場所と時間と相手が変われば、
自分自身がどう理解されるかについて、
前提などいくらでも変わっていくのだから、
自分で欲しいように変えてしまえばいいのである。
例えば、もしあなたが複数の人に転職の悩みを話したとして、
転職成功者なら前向きに捉えるだろうし、
転職未経験者ならよくわからない顔をするだろう。
もしあなたがいま語学が不得手なのに海外に転職したいと言い出すのなら、
おそらく誰もが「やめておいたほうがいい」と答えるだろう。
「やめておいたほうがいい」と言われて、
「やっぱり自分にはダメだ」と諦めるのか、
「なるほど、やっぱりこれが足りないよね」と素直に捉えるのか、
解釈は自分で思い込んで決めればいいだけの話だ。
もしあなたが、現状から逆算して語学力を得て、
専門性も得て、その上で海外に転職したいと言い出すなら、
多くの人は「がんばれ!」と声援を送るに違いない。
現に今そのようなチカラがなくとも、
将来的にそうなると思い込んで粛々と行動することは、
内心の自由を活用した成長物語である。
楽しく頭に汗をかいて、
前向きに成長できる状態を、
自分でわざわざ「不吉だ」と思い込むだろうか。
わざわざ「お前には不吉なことが起こる」と言ってくる、
ヒマな人をいちいち真面目に相手にして、
自分から不吉な気分になる時間が、
ほんとうに必要だろうか。
自分で自分を魔女狩りされる側に追い込むくらいなら、
自分で自分を「福がある」と思い込める側に、
思い切って身を置いてしまうほうが楽しい。
黒猫でさえ、場所と時間で意味が真逆に変わるのだから、
「考える葦」である人間は、
猫と違って「考える」ことができる強みを、
最大限活かす場でゴロゴロしていればいいんだよね。
boxcox.net、遠藤武。