作り手の本音が、ぽつりと吹き込まれていると、面白い。
やらされ感があったり、中身がないのにうるさく奇をてらうだけだったり、
他人のコンテンツをまとめただけだったりするなら、はっきり言って出さないほうがマシだ。
現実解。
結局は、読み手のことを考えて、
アナログに行動しているか否かなんだよね。
単なるお役立ち情報は、最初は話題にされるけど、
本音がなくマーケティングに媚びへつらっているだけで、
どこかしら歪んだコンテンツになってしまう。
それでも認知度の強みがあれば売れることは売れるが、
どこかで無理をしているために、
どこかで醜態を晒してしまったり、そこまで行かずとも、
正直に言ってお役立ち情報ではないというところまでが、一連のパターンである。
これはSNSや動画投稿が流行って可視化されたから突然起こったことではなく、
前からあったことの延長線上に過ぎない。
前々からあるように、
企業の経営者がイケイケドンドンで時代の寵児と呼ばれるようになり、
突然やらかして消えていくことと、本質は同じである。
あるいは、イケイケドンドンではないにせよ、
零細企業の経営者が驕り高ぶった挙げ句、
不祥事や訴訟を重ねてしまい、
文無しになってしまうことと大差はない。
実のところ、その人が売ろうとしている、
見栄えのいいコンテンツそのものよりも、
その人自身の軌跡が、極端で面白いのである。
要は、本質は不器用なのである。
そこに本音が吹き込まれているが、
本音がコンテンツと別なところから出てくるからこそ、
矛盾した軌跡のほうが面白くなってしまうのだ。
まっとうに生きているのなら、
何もわざわざ自分からやらかして、文無しになる必要はどこにもない。
極限まで言葉を絞って、目の前の人に本音を囁いたほうが、
記憶に強く面白さとして残って、末永く愛してもらえるんだよね。
boxcox.net、遠藤武。