伸びしろを持ちたいなら、しつこくしつこく観察することを欠かさない。
無理やりひとつに道を決め切って目指すと、
不用意な競争に巻き込まれてしまう。
現実解。
競争という事実に向き合って、
素直かつ愚直に対策を立てることは重要だが、
「自分の道は、たった一つしかない」
と思い込んでしまうと、
独自性が削れてしまう。
このもったいなさを放置すると、
伸びしろが見えず、
やりたいことができなくなり、
結局中途半端になってしまう。
特に、頭が回る毛並みのいい人ほど、
「競争とは、山登りのように下から上に向かうしかない」
と考えがちだが、これは競争の全体像が見えない、
「目隠し状態」だと言い切っていい。
本当の意味で競争することとは、
競争を正面からもウラからも見尽くして、
競争の中に競争ではないスキマがあるかを見抜き、
その上で、文字通り競争に乗るか乗らないか、
あるいは乗ったフリをするかしないかを、
愚直に決めていくことにある。
はっきり言っておくが、
客観的に競争に見える物事は、
主観的な創意工夫の濃さの差であり、
実はスタート時点以前の準備段階から、
だいたいの結果が見えている。
ゴールは率直に言って、後付けだ。
例えばスポーツの勝敗や、音楽のコンクールや、試験対策について、
圧勝なのか、善戦なのか、ギリギリで結果を出したのか、しくじったのか、
結果に慢心したのか、屈してふてくされたのか、物ともせずふてぶてしく創意工夫するのか…、
という点をつぶさに観察して、愚直にToDoを決めていくしかない。
もしあなたが、自分の伸びしろに限界を感じているとしたら、
単に「目先の常識の奴隷になっている」と気づこう。
見えない鎖をほどくには、
良かれ悪かれ、結果が出たあと、
単に結果だけ見て一喜一憂するのではなく。
勝因と敗因をしつこくしつこく、
更にこれでもか!としつこく観察して、
自分で自分の理解を入れ替えて、
鎖のような文脈を解きほぐすしかない。
スポーツにも音楽にも、
試験対策にも共通しているのは、
一喜一憂せずに淡々と分析することなんだね。
スポーツや音楽や試験対策で上澄みを経験した人でも、
「自分の道は、たった一つしかない」
とついうっかり思い込んでしまうと、
どこかで一喜一憂にギアが倒れてしまう。
逆に言うと一喜一憂していることに気付ければ、
ついうっかり自分自身を淡々と分析できる。
うっかりは、更にうっかりで包み込もう。
素直に繰り返して、クセをつければ大丈夫。
boxcox.net、遠藤武。