「〜しなければならない」は、味方。

daily5 爽快感。

「〜しなければならない」は、

実は真っ先に、自分の味方をしてくれる。

背中を蹴飛ばして、自分の次のToDoに飛び込ませるから。

 

現実解。

人間は自由な意思で動いて知恵をつけ、

物事を選び抜くべきだと、

私は原理原則として信じている。

その反面、何も下地がない状態で、

「あなたは自由だから、好きにやりなさい」

というのは、無責任であり無法地帯だとも、

非常に強く認識している。

例えば、荒れた公立中学校の最下層の生徒が、

非行に走ってチンピラ化するのは、

単に頭の使い方の下地がなってないだけであり、

頭を悪いまま放置していることにある。

このとき彼ら彼女らが、

真っ先に「しなければならない」ことは、

勇気を持って最下層から抜け出すために、

堂々と学ぶ行動に出ることだ。

背中を蹴飛ばされて痛いを思いを買ってでも、

最下層から抜け出さなければ、

ずっとチンピラのままなのである。

「自由にやりなさい」と言い出すことが、

無法地帯の広がりを助長するのであれば、

全てが裏目に出てしまう。

実はこれは公立中学校の下層の話に限らず、

大人の社会の中に明確にある、

立ち居振る舞いや序列や実績にも当てはまる。

例えば、ビジネスをやっていて、

うだつが上がらないのであれば、

「しなければならない」が複数見つかる。

関わる人の数と組み合わせと質を変えるとか、

別な分野や地域に移って有利な土俵を作るとか、

既存顧客とのつながりを強化するとか、

その延長線上で見込み客に無理なく認知させていくとか、

やるべきこと・出来ることは、たくさんある。

当然の話だが「しなければならない」を放置していたら、

結果として、そのビジネスは衰退して死んでしまう。

チンピラのままでいるどころか、

チンピラとしてすら生きられなくなるという、

厳然たる事実は認めなければならない。

この厳然たる事実こそが、

実は厳しい顔をした、優しい味方なんだよね。

痛いところを思いっきりグサリとついて、

背中を蹴飛ばしてでも先に進む必要があるからこそ、

物凄く厳しい事実ということだ。

いかに厳しかろうとも、

事実を事実として受け入れさえすれば、

実は「なんだ、こんなにシンプルだったのか…!」と、

ハッとするのも、事実の優しい特徴だ。

厳しいは、実は優しい。

これだけわかっておけば、

シンプルに次のToDoを進められるんだよね。

 

boxcox.net、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
endoutakeru

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■遠藤武のやっていること■

・経営トップ向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて、仕組み化とデータ分析に関する見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています
(2024年8月に50回を超え、書籍化企画を進めています)

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