「本を多く読む理由って、何のためにあるのですか?」

daily6 人と技術と成長。

未だ本に書かれていない絵空事を、探り当てて実現することにある。

読書の数をこなしていないと、何が標準的なのか、どれくらいの物事が言語化されているのか、

どれくらいの物事が「たまたま書籍化・出版されておらず、言語化されていない」かが探れない

 

現実解。

言語化して、発見と腹落ちすることこそ、自分が行動する上での大チャンスだ。

ジャンルを問わずに数をこなして本を読むこととは、
目の前にいない凄い才能に、マンツーマンで言語化を手伝ってもらうことだ。

そうやって数をこなすことで、本を書いた人が未だ描いていない、物凄い知見を出すことができる。

素直な疑問を立て、ありとあらゆる範囲から探っていると、
「実はこのアイディアやこの事例って、出版はおろか、言語化されていないよね」
「実はこの事例の上位互換って、あの事業家や研究者が若い頃に、走り抜けていった領域だよね」
「実はこの人って、成功の象徴に描かれているけれど、本当は失敗しかしていないよね」
というように、描かれていなかった状況を、言語化できるのである。

「描きたい物事があるなら、その輪郭や周辺を描け」
とは、本質を捉えた絵描きの作法である。

これを本読みの立場から、
果たしたい物事があるなら、その輪郭や周辺を描け」
と言い換えられる。

たまたま書籍化も出版も言語化もされていない、
けれどもどうしても知りたい領域があるとしよう。
本を読んで探り、考え抜いて、周辺の知識を得て、
自分で判断を下し、言語化から行動していく糧にするのだ。

単独ではイメージもヒントも一切ないような絵空事を、
読書を経て、自分の目の前の一次情報を踏まえ、輪郭を描くのである。
そうすれば、単なる空想でない、別解が見えてくる。

「読書なんて役に立たないよ」
このセリフは、空想を空想のまま終わらせてしまっている。
唯一文字を操れる生き物である、人間の立場としては、ちょっと寂しい。

本に描かれた内容は、確かに言葉という捉えどころのない物事ではあるが、
仮にそれがフィクションであったとしても、読み手がピン!と来て、
行動を望ましく変えられたなら、単なる空想ではなくなる。

例えば入り口では、小説や絵本を読んで、主人公の真似をした結果、自転車に乗れるようになったという程度の経験で構わない。ヒーローやヒロインにあこがれて真似をする、というカジュアルさが快適なのである。
同じく受験勉強、就職・転職、起業、人生の悩み解決も、この程度のカジュアルさで行動を変えられたら、読書の投資対効果や時間対効果は、十二分にある。

本を読んだら、事実を読む。
事実を読んだら、行動する。

読書の数をこなすことは、行動の数をこなすことと、ワンセットなんだよね。

boxcox.net、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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