未だ本に書かれていない絵空事を、探り当てて実現することにある。
読書の数をこなしていないと、何が標準的なのか、どれくらいの物事が言語化されているのか、
どれくらいの物事が「たまたま書籍化・出版されておらず、言語化されていない」かが探れない
現実解。
言語化して、発見と腹落ちすることこそ、自分が行動する上での大チャンスだ。
ジャンルを問わずに数をこなして本を読むこととは、
目の前にいない凄い才能に、マンツーマンで言語化を手伝ってもらうことだ。
そうやって数をこなすことで、本を書いた人が未だ描いていない、物凄い知見を出すことができる。
素直な疑問を立て、ありとあらゆる範囲から探っていると、
「実はこのアイディアやこの事例って、出版はおろか、言語化されていないよね」
「実はこの事例の上位互換って、あの事業家や研究者が若い頃に、走り抜けていった領域だよね」
「実はこの人って、成功の象徴に描かれているけれど、本当は失敗しかしていないよね」
というように、描かれていなかった状況を、言語化できるのである。
「描きたい物事があるなら、その輪郭や周辺を描け」
とは、本質を捉えた絵描きの作法である。
これを本読みの立場から、
「果たしたい物事があるなら、その輪郭や周辺を描け」
と言い換えられる。
たまたま書籍化も出版も言語化もされていない、
けれどもどうしても知りたい領域があるとしよう。
本を読んで探り、考え抜いて、周辺の知識を得て、
自分で判断を下し、言語化から行動していく糧にするのだ。
単独ではイメージもヒントも一切ないような絵空事を、
読書を経て、自分の目の前の一次情報を踏まえ、輪郭を描くのである。
そうすれば、単なる空想でない、別解が見えてくる。
「読書なんて役に立たないよ」
このセリフは、空想を空想のまま終わらせてしまっている。
唯一文字を操れる生き物である、人間の立場としては、ちょっと寂しい。
本に描かれた内容は、確かに言葉という捉えどころのない物事ではあるが、
仮にそれがフィクションであったとしても、読み手がピン!と来て、
行動を望ましく変えられたなら、単なる空想ではなくなる。
例えば入り口では、小説や絵本を読んで、主人公の真似をした結果、自転車に乗れるようになったという程度の経験で構わない。ヒーローやヒロインにあこがれて真似をする、というカジュアルさが快適なのである。
同じく受験勉強、就職・転職、起業、人生の悩み解決も、この程度のカジュアルさで行動を変えられたら、読書の投資対効果や時間対効果は、十二分にある。
本を読んだら、事実を読む。
事実を読んだら、行動する。
読書の数をこなすことは、行動の数をこなすことと、ワンセットなんだよね。
boxcox.net、遠藤武。