一つ物をなくしたら、それはラッキーだ。
愛着があればあって探したくなるほど、
あっさり手放して再始動すればいい。
現実解。
何もスピリチュアルな話をしたいわけではない。
目の前の事実を転機としてあっさり受け入れるほうが、
執着せず成長の糸口を得られるということだ。
探しても見つからないなら、その事実を受け入れて、
再始動する実戦訓練だと思えばいい。
自分の場合、愛用して心を支えてくれていた、
10万円を超えるペンをなくしたことがあったが、
それはペンが手元を離れて、
文字通り自分の血肉と化したのだと、
つまり自分の価値が上がったのだと、
はっと気付かされた。
モノに愛着を持って大事にすることそのものは大事だが、
失くした際の立ち居振る舞いは、
モノ以上にもっと大事であり、
更に先の立ち居振る舞いを形作る。
万物は流転していくものであり、
宇宙の規模で物事を観たら、
チリ一つと物ひとつは大差ない。
だからこそ物を大事にすることが尊くあり、
だからこそ変化があったときの立ち居振る舞いを、
淡々と楽しむことが出来るのであって、
このような変化が微細な違いを生み出し、
仕事で活躍する実力が研ぎ澄まされるのだ。
結局、仕事でもプラスの転機が訪れることが、
大事に使っていたモノを失くした際に、
突然やってくることがある。
これは突然に見えるけど、
実力が研ぎ澄まされている事実を、
大事にしていたものを手放して気づくから、
更に感性も実力も研ぎ澄まされるのである。
失くしものがあったときこそ、
「抜き打ちテストだな」
と思っておこう。
たったこれだけのことかもしれないが、
なくして悔しければ悔しいほど、
掘り下げて成長への着想を得られる。
大事なものを失くしたからこそ、
目の前にいる大事な人の失くしものにも、
思いを馳せて深く共感できる。
手放したとき、新たに得られる価値は、
桁違いな繊細さとおおらかさなんだよね。
boxcox.net、遠藤武。