自分が一番手になるか、
自分は二番手に徹するか、
頭角を表す方法は、その2つだ。
一番手に徹するべきは、
強烈なビジョンを打ち出せるとか、
圧倒的に表現力があるといったように、
特定の分野に秀でている場合だ。
天才と呼ばれる人は、一番手の側である。
ほかの要素を他人にやってもらってでも、
自分の得意分野に絞るべきだ。
二番手に徹するべきは、
コツコツとやることが得意な場合だ。
最も、大多数の人にとって、
特定の分野に秀でることが難しいのだから、
当たり前のことを、当たり前でないくらい、
凡事徹底しやすくすることが大事だ。
「得意な場合にやるべき」というよりは、
「これなら自信が持てる」という流れに持ち込み、
数をこなせる仕組みを作ることである。
そして、一番手を徹底して助けるのである。
コツコツと続ける取り組みが報われるのは、二番手だ。
例えば、美術の分野では、
美術家に対し、
学芸員という職業で説明できる。
美術家の渾身の作品を、
収集・展示・保管して、
後世に語り継ぐ役割だ。
美術家という競争が激しくパイも限られる分野が無理なら、
美術家という天才を語り継ぐ役割を、
本気で担えばいいのである。
最高の二番手は、
もはや誰からも二番手とは思われない。
この事実に気づけたなら、
二番手として堂々と才能を発揮すればいいのである。
むしろそのほうが、
自分独自のルートで才能を発揮し、
二番手として一番になり、
結果として競争に巻き込まれずに、
中途半端な市場のよくわからない一番手よりも、
頭角を表せることになる。
これは選択の問題だが、
物事は何をどう選ぶかで既に勝負が決まってしまうため、
自分の立ち位置と、
世界や日本の一番手がどれほどかを、
知っておくことが重要なのである。
頭角の表し方は、マーケティングの基本的な考え方と同じ。
boxcox.net、遠藤武。