あれこれ考えて評論するより、
「自分ならこうする」を持つだけで、
動き方を変えるきっかけが生じる。
嫌なことがあったら、
まず自分を中心に、
本音の視点を持つことで、
行動するきっかけが出てくるといということだ。
怨念や怒りは、
立派な行動のきっかけである。
組織を例に挙げよう。
喜怒哀楽を焚き付ける側は、
あっさりとマネジメントが出来る。
ねちっこく評論する側は、
どうがんばってもマネジメントが出来ない。
せいぜい、部下なし部長どまりが関の山だ。
それも実力とは無関係のお情けだから、
いざとなったらまるでダメである。
そもそもマネジメントとは、
人の行動を前向きにいざなうことだ。
それはつまり、
「自分ならこうする」を、
部下に持ってもらうことである。
人を前向きに誘うなら、
ねちっこい評論ごっこだけでは、
絶対に人は動かないという、
厳然たる事実を受け入れる以外にない。
「自分ならこうする」とは、
自分の内側のエネルギーを、
しつこく行動で具体化して、
自分の頭をリアルに落とし込むことである。
口先に逃げる人や、
ねちっこく評論する人は、
そもそも自分で考えていないし、
自分で考えるに足るほどインプットをしていない。
言葉は手段でしかないからこそ、
「こうする」という行動残しが、
重要になってくるんだよね。
boxcox.net、遠藤武。