成長とは、自分の格を上げていくことである。
格が高い人は、高い人同士で関わりを持ち、
格が低い人は、低い人同士で群がるのが事実だ。
この図式をまず知っておこう。
2020年代になり、SDGsや健康経営について、
あちこちで見かけるようになった。
この本質は「格式の低い層はお断り」ということである。
「人には優しくしましょう」
「健康に過ごしましょう」
これくらいの言葉であれば、
小学校低学年でも簡単に理解できるだろう。
いっぽう、格式の低い人が多いのは、
古今東西から続いている事実だ。
だからこそコンプライアンスが重視され、
ウソいつわりなく実現するよう、
SDGsや健康経営に乗り出しているのである。
かつての1980年代や1990年代の街角やオフィスの映像をyoutubeなどで見ると、
室内のあちこちに灰皿があった。
航空機の内部でも喫煙ができた。
今の2020年代では考えられないことだ。
受動喫煙は健康を害するという、
小学生でもわかっていた事実を認め、
徹底的に排除されているのが事実だ。
今や、喫煙可能なお店のほうが圧倒的に少ない。
今や、健康を害するという事実どころか、
「喫煙者はそもそも貧困層である」
「喫煙して健康に害が出て、医療費を圧迫する」
とデータで知られてしまっている。
にもかかわらず、今まだ喫煙している層は、
いわゆるB層と同じで、
格式で言えば最下層にいる側である。
「人には優しくしましょう」
「健康に過ごしましょう」
小学生でも分かる程度の考え方が、
最下層には全くわからないのである。
禁煙をコンプライアンスで推し進めるのは、
「頭が悪い層を、強引に底上げして教育する」
ということに他ならない。
「迷ったら、格式やレベルを上げる以外に、選択肢は不要だよ」
僕は迷える人から質問を受けたら、
常にそのように即答している。
これは強引に底辺を底上げする、
コンプライアンスや教育と同じだ。
格下に逃げたら、そのままズルズルと落ちるところまで落ち、
再起不能になるのが、人間のサガだと言っていい。
コンプライアンスは、再起不能を防いで世の中を保つ手段だ。
格式を低くするような環境や人からは、
何がなんでも離れることでしか、
成長できないと気づこう。
追記。
少し前、禁煙でないお店に、
ふらりと入ることになって気づいたことがある。
やっぱりどうあがいても喫煙可能なお店は、
関わっている人の格式も健康も下がる、
とびきりのさげまんなんだよね。
お気に入りの服に、
嫌なニオイや化学物質が付く上に、
来る客の質も年収も低く、
不健康経営をスタッフに強いている。
申し訳程度に、
ボロボロになった空気清浄機が置いてあることがあるが、
まさに経営のセンスを物語っている。
これじゃあ好循環は起こらないよ。
「受動喫煙を強いる人とは、問答無用で関わりません。中座して帰ります」
とは当時敢えて明示していなかったのと、
だいぶ久しぶりで相当物珍しかったこともあって、
二度と同じ状況を経験しないよう、
遺伝子レベルで自分に命の危機を刷り込ませるために、
命を削って(ダメージ対策は徹底して)物見遊山してみた。
改めて思ったけれど、
同じ場で過ごす時間とは、命のやり取りだ。
だからこそ、すべてが愛おしいと思える人と過ごすことが、
時間の100%正しい使い方だと言える。
命を無駄に削る受動喫煙は、
自分も相手も命を軽く見ていることになる。
愛おしさなどどこにもない。
要は目の前に座っている人間の命も、自分の命も、
完全に無神経でナメ切って愚弄しているのだ。
そんな格式の人に、セカンドチャンスは一切用意する必要などありません。
格式は、死ぬ直前まで成長したい人にとっては、
好き嫌いを超えて大事にすべき話なんです。
一定以上の金額のホテルに行き慣れれば、よく分かる話かもしれないね。
安居酒屋で群れているようじゃ、一生気づけないかもね。
迷ったら、電光石火で格上に逃げるだけ。
格下は「これくらい平気」とすぐ付け上がる。
格式を上げたければ、格下と二度と関わらないだけでいい。
boxcox.net、遠藤武。