短気でついイラっとしてしまう人は、
実はとても繊細な人である。
繊細だからこそつい他人や自分を許せなくなるのであり、
とびきり感受性が強い人だと言っていい。
だからこそ、敢えて自分も他人も事あるごとに赦すのである。
だいいち、世の中の大多数は思いのほか鈍感だ。
すべての文明の利器や文化といった物事は、
鈍感な多数派をいかにしてマネジメントするために作られてたと言っていい。
国家も会社組織も、その好例だ。
だからこそ、短気で繊細な人ほど感受性の強烈なまでの強さを生かし、
迷ったら遠くを見据え、迷ったら上に向けて逃げ、
少数派の変人であることに更に磨きをかけるしかないのだ。
嫌なことを無理やり赦して、心を押し殺す必要はない。
しかし、まずは「多数派を一旦赦して距離を取った上で、対処法を淡々と探る」ほうが前向きであり、
正面衝突を心底から回避できるのもまた事実だ。
そもそも多数派は何100年経とうと多数派のままであり、
未来永劫少数派とは相容れないのであって、
そこにいちいち腹を立てるくらいなら、
こちらから赦してしまうほうが、
「この人は違う!」と見られる率が上がる。
そのようにポジションを上げてしまうほうが、
有利に事を運ばせられるのではないだろうか。
現実的に言えば、いちいち腹を立てず、
淡々としているだけで、肩肘張らずに凄みを演出できるのもまた事実だ。
現実解。
自分が短気で繊細だとわかっているなら、
繊細さを生かし「赦す」という発想で包み込むほうが、
不快を逸らせるぶん人生が面白くなるし、楽しく楽になる。
boxcox.net、遠藤武。