「組織のトップになるのに、50〜60歳なんて遅すぎる!」
どうやら、今の30代とそれ以下の世代では、
この事実に明確に気づいている様子だ。
それもそのはず、
70〜80年代くらいまでの間で、
基本的なマンガのジャンルが普及しきっていった。
ファミコンが生まれたのは1983年。
ディズニーランドが生まれたのも1983年。
マンガを土台に、ゲームとテーマパークが花開いた。
90年代以降は、マンガもゲームもテーマパークも、
すべて生活に当たり前のように入ってくるようになった。
マンガは誰でも読んでいる。
アニメを元にしたテーマパークは誰でも知っている。
エンターテイメントが、日常のあちこちにペタっと貼り付けられ華やいだ。
それどころか、ゲーム機をみんな持つようになっている。
デバイスが、簡単にカバンやポケットの中に入った。
これはスマホと同じくらい革命的だった。
ゲームの作り手は、
技術面でもシナリオ面でも、
放っておいたら勝手にゲームを作っている人たちばかりだった。
その結果、何が起こったと言えるか。
「そもそも退屈なことを押し付けられる社会って、間違ってるんじゃない?」
「退屈な上意下達を押し付ける社会って、間違ってるんじゃない?」
ゲームの作り手に限らず、
そう感じる若年層が増えたことは、
もはや言うまでもない。
これは実は、単に遊びや仕事の話ではなく、
遊びと仕事の区別がなくなっていったと言える。
自分もゲームにハマった世代だが、
ある程度技術がわかるようになってから、
当時のプログラマが書いている、
ゲーム制作の裏側を覗くと、
「大学で物理学をやっていたけど、その知識をゲームのサイコロのアルゴリズム実装に使った。」
というように、作り手として、
当事者意識を持っていたことがわかる。
大学の物理学や統計学で用いる、
モンテカルロ法という手法が、
そのままヒットしたゲームのサイコロを、
ぶん回すアルゴリズムとして使われたのである。
文字通り賽は投げられたのだ。
遊んだ当時は、
ブラックボックスだったが、
あとになって技術を知り、
「この技術で、今も使える統計分析も機械学習もできるよね?」
と気づいてしまうと、それはひとつのイノベーションの始まりだ。
技術を水平思考させる発想、と言ってもいい。
「枯れた技術の水平思考」と言ったのは、
ゲーム業界の著名人だ。
この発想についていけない層は、
率直に言って頭を使っておらず、
権限がないと何も出来ない、
転職や独立する勇気もない層だ。
そんな人に権限を与えても、
決まって退屈な多数決しか出せない。
新規事業やDXで失敗するのは、
決まってこういう古臭い組織であり、
古臭さを淘汰させないことには、
自滅してしまう。
現実解。
古臭さと真逆の自由があれば、勝ち筋が描ける。
決裁権者が権限をふるうという発想より、
実力ある自由人が権利を行使する発想のほうが、
たいていうまくいく。
すべてではないが、
おおむね若い組織がこれを実行していく。
追記。
実は新しい分野や起業ほど、
「逆年功序列」の傾向があるのは、
既にあちこちで指摘されてもいる。
さらに追記。
この記事の視点にハッしていたら、
その人は今がいちばん若い瞬間なのだから、
行動を変えてみよう。
誰かに連絡を取るでもいいし、
今まで手付かずの本を読んでもいいし、
新たな趣味を始めてもいい。
boxcox.net、遠藤武。