遊んでいるのと同じ。

daily9 大前提。

独立して3年経つが、

今だからこそ言ってしまうと、

サラリーマン時代は、遊んでいるのと同じだった。

コードを書いてツールを使って仕事を自動化し、

自分がやらなくてもいい仕事を他人に割り振ることで、

時間の8〜9割を占めていた価値を産まない雑務が消えていった。

価値を産まない仕事に時間をかけているのは、

単に実力がないか、お遊びしているだけである。

 

となると、ツール作りはさておき、

意思決定とコミュニケーション以外にやることがなくなるため、

独立して価値がバンバン上がっていったことになる。

そこには、社内政治も強権発動もなく、

好きな人と好きなことをやる空間しかない。

結果として、富が集まっていくことになる。

 

率直に言ってしまうと、

勤め人の分際で価値を産まない社内政治に明け暮れたり、

創業経営者でもヒラ取締役でもない管理職ごときが強権を発動するのは、

どこか不自然で気味が悪いのである。

実力がないのに分不相応な立場ということだ。

実力がある人ほど、価値を出さないことを嫌う。

学術研究するならさておき、

資本主義では長時間労働やハードワークはもってのほかだ。

「無批判にフルタイムで働くとバカになる」

そんな仮説を、

大学生のときに言葉なく立てていた。

だからこそ、

研究のごとき感覚でできる仕事として、

統計学を使って猛勉強しまくれるアナリストを選んだのだが、

後になって数千冊単位の読書で、

無批判にフルタイム労働を受け入れることのリスクについての仮説が、

言葉通り正しいと気づいた。

社内政治や強権発動に明け暮れる、

分不相応な残念人材は、

会社ごとリストラしてしまえば、

ハイそれまでよ、だ。

学んでいないから生き残れないのと、

運良く高いポジションに就けたとしても、

化けの皮がそのうち剥がれるからだ。

そりゃそうだよ、

無批判のまま組織に自分の脳みそを10年単位で明け渡していたんだもの。

 

もうみんな薄々勘付いているだろうけれど、

仕事そのものより、

大学で学ぶアカデミックスキルのほうがはるかに重要だ。

英語で議論/交渉・プレゼン・ペーパー執筆・リサーチができて、

統計学や多変量解析を扱えるくらいの大学数学(解析学、線形代数、集合論)がわかれば、

文理問わずほとんどのことはできてしまう。

そのようなアカデミックスキルはビジネススキルを超超超上から目線で見られる立場だ。

ビジネススキルばかりを強調する人は、ぶっちゃけると単なる教養不足だ。

自分はその事実を大学在学中に知っていたから、生き延びてきていると断言していい。

仕事を全部包み込むことができて、仕事と遊びに区別がないまま、

大学在学中から今日まで過ごせてきていることに、感謝してもし切れない。

 

現実解。

「サラリーマンは気楽な家業ときたもんだ」

という青島幸男氏による古い歌詞を小学生のときに知ったけど、

氏が大学卒業間近に病気療養でサラリーマンになれなかった恨み節を含め、

この歌詞は示唆に富む。

サラリーマンはクビになっても他に移ってどうとでも出来るのだから、

堂々と自分のために徹底して我田引水でキャリアを作るように、

尖った発想で学びつづけるくらいでちょうどいい。

boxcox.net、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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