大学生の受け身志向が進む傾向が取り沙汰されているけれど、いくらアクティブ・ラーニングを実施しようとも「主体性を持てる人がそもそも少数派なんじゃないの?」という発想をまず持とう。

アクティブ・ラーニングを実施しようとしても、特定の分野に恐怖心や抱えたままでは、恐る恐るしか動けない。あるいはいかに教養として重要な知識であっても、無関心のままでは、無い袖は振れない。加減乗除に嫌気がさしていれば数学記号に無関心となり、歴史上の人物の名前に興味がなければ史実を憶えることが億劫になる。こんな状態では、アクティブ・ラーニングの実施はままならない。

アクティブ・ラーニングでは、主体的な議論や発表を軸にする以上、殺人的なレベルで非常に大量のインプットを網羅的にこなせる基礎が求められる。これを楽しめない限り、まともなアウトプットにはつながらない。恐怖心や無関心があるままでは、指を加えて傍観するくらいしかできないよね、という話だ。

「大学レベルとはお世辞にも呼べないけれど、よく頑張りました」という大学が学位を乱発したところで、結局は評価に堪えうるアウトプットすら出せないのである。

学部入試対策で燃え尽き、マスプロ講義の試験対策ばかりで「主体的なアウトプットに乏しい」とぼやかれている日本のトップ層の大学と同じくらいの根深い闇が、アクティブ・ラーニングにへばりついているよね。