複数言語でやりとりができると、例えば日本語でも英語でも関係なく、場面のイメージが自然と浮かび上がってくる。
「イメージ」と「分解」が出来るか否かが、リスニング上達の分かれ目だ。
ほんの少し聴いて、否応なしに「ああ、そういうことね」と状況がイメージできることが、上達しているか否かのポイントということになる。
音楽で言えば、
「あ、このオーケストラのこの音源は音程が少し低め(高め)だな」
「音程がしんどそうだ。今日は弦のソリストの調子が良くなかった様子だな」
という区別が、すぐにつくということである。
この区別には、耳を使って、正しい状態と間違った状態の、理解と誤解と腹落ちを繰り返した分解ことが必要となる。
例えば、音程が一致していたら心地よく、音程がズレていたら聞くに堪えないことを、実際に何度も聞いて馴染んでおくように。
では言語ではどうか。
ある程度馴染んでくると「あれ、このオッチャンが喋ってるナマりのある日本語、英語に聞こえる……?」という感覚に襲われる。区別がごっちゃな状態だ。このカオスは正直楽しい。
もっと慣れてくると「日本語と英語が、ニュースやインタビューの吹き替えで同時に聞こえて来ても、どちらの内容にも反応できる」ようになる。
更に慣れてくると、喋る速さや母音・子音の強調から、場の空気感や、文脈や、「ああ、考えながら話しているな」とか「ロジックが甘い割に自信満々だな」と鮮明に見えてくるようになる。
(これ以上となると、英語で発話するだけの話ではなくなる。英語を母語とする人も、以前述べた通り身につけるべきスキルを別途鍛える必要がある。)
現実解。
リスニングは、体育や音楽のようなものだと思っておくといい。
ロジックばかりに囚われて嫌な思いをするより、直感的に解きほぐして行くほうが、実は理にかなっている。
boxcox.net、遠藤武。