庶民感覚とは「多数派の価値観として維持されている、けだるい空気感」だ。
寄り集まってじっと黙し、ひたすら群れて理不尽な状況から身を守るという生存本能が、ここに集約されている。
他方、人々が遍く自由を獲得して個我を確立するほど、「なぜ理不尽な状況に黙って流されているままなの?」という疑問を生み出す。
かといって、この疑問は明確な主張として現れることはない。「声なき声」として、ただただけだるさの中から薄ぼんやりと歪んで見え隠れするのみだ。
このとき、庶民感覚とは「知恵も知識も主張もない、空気を読んで疲弊させたれたような全体主義や、多数派や既存の権力に阿る権威主義」だと言い切って良い。
多数派になんとなく合わせていったばっかりに、多数派以外の発想や知識には一切耳を傾けないという危うさをはらんでいる。
変に疑いすぎる状況は考えものだけど、知識や知恵に立脚した素直な懐疑心を持ち続け、不断の努力で空気を良くしていきたいよね。