「生産性」の本音

daily0 本音たち。
生産性や効率が重要であることは、敢えて議論するまでもない。
一定の条件を満たすアウトプットが必要な場合、生産性を測定し、より良い仕組みを構築するのは当然のことだ。
いっぽう、生産性だけに目が行くと、自分の一挙手一投足がもっぱら生産手段に成り下がる。

社会を工場と見立てたとき、主体性や感情の不要なパーツに過ぎないのでは、人は人である必要すらなくなってしまう。こんな生産性は本末転倒だ。
ここで問おう。敢えて非生産的な物事に取り組む必要があるのか?あるとしたたそれはなぜか?
答えをシンプルに示そう。
非生産的な物事に取り組むことは、世の中の数々の事象に面白さを見出すために必要だ。その理由は、自己決定権と判断力と向上心を持ち続けるためである。

面白さを見出せない物事の強要に甘んじることは、現状への隷属に他ならない。

自分に自己決定権と判断力と向上心がなければ、それは文字通り自由のない奴隷だ。
生殺与奪を誰かに一方的に握られている状況では、そもそも生産的な状況を選ぶ権利すらない。
その具体的な状況とは、
・マネジメントが完全にザルな組織
・教育水準や知的水準の低さ
・経済資本(金銭面)の余裕のなさ

という、基礎力をつけようがないケースだ。
基礎力を身につけるには、一定の非生産的な状況に身を置く必要が生じる。「型を身につける」「学習する」ことがこれに当てはまる。
それは教育やトレーニングの場合もあれば、趣味にハマり込むことでもあれば、試行錯誤の段階であることもある。
自転車を漕ぎ出してスピードが出る前の段階がいちばんキツいという点によく似ている。
(余談だが、型を身につける段階からしてやたらと不合理で非生産的・非効率的というのは多々あるケースであり、これを解決するだけでも生産活動ができる状況は少なくない。)
自己決定権に基づいた的確な判断力があり、向上心をキープできるということは、自由であることの基礎中の基礎なんだよね。
生産性を考える上で、第一に自由を考えられないのならば、ボタンを掛け違えていると肝に命じておこう。
遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
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■遠藤武のやっていること■

・経営トップ向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて、仕組み化とデータ分析に関する見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています
(2024年8月に50回を超え、書籍化企画を進めています)

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