「予測」は、分析を通じ、行動のための独自のシナリオの筋道を明確にしていく営為である。
もう少し肩の力を抜けば「物事をパーツ取りまたは引用して、自分で将来の全体像を作ること」と言い換えられる。
これは、職業的に行う「経済予測」だとか「未来予測」のように、次の動向をピタリと当ててしんぜよう、というものである必要はない。むしろここで言う予測は、大胆に先を見つつ、同時に少しずつ歩き出し、合理的かつ勇気を持って先に進むための方略だ。
予測のシナリオの全体像の構築には、人文科学・自然科学・社会科学の知識がパーツとして必須だ。さしずめレゴブロックのようなものだと考えればいい。
自分の立ち位置、知識とボキャブラリーの使い方、分析や実験結果の読み取り方、これに関わるヒト・モノ・カネの流れの読み方、分野間の違いや共通点や論争、これらをまたぐ物事の整合性……。
基本的な学問分野の骨格の理解なしには、シナリオの全体像どころか、個々のパーツの組み方や作り方や引用の仕方すらわからない。個別の分野にバイアスがかかってしまえば、予測以前の話で終わってしまう。
教育水準や学歴がパフォーマンスにつながるのは、たとえ答えのある知識を軸にした断片的な技能でも、予測の材料として活用・転用できるからだ。ただしこれだけだと、バイアスや通例や成功体験から抜け出せないことが多々あるので、注意が必要だ。
教養が持て囃されるのは、この断片を合理的かつ独創的につなげて、予測を通じた新しい価値を絶妙なバランスで提供できるからなんだよね。