ふてくされてイマイチな「偏屈さん」は、とにかく虚勢を張り続けるので、何がなんでも絶対に自虐を言わない。
周囲からのプレッシャーを通じて自認を強要させられている「自虐さん」は、ついつい自虐に走る。
「自分はこうだ」という自認を各所で積み重ねている少数の人は、自虐を思いがけない切り札にしてしまう。
偏屈さんが自虐を言わないのは、不安要素を無視し、ごまかして身動きが取れないからだ。
自虐さんが自虐を言ってしまうのは、不安要素を脳内でひどく過剰に理解しているからだ。
動けない「偏屈さん」はさておき、「自虐さん」は過剰な理解を客観的に上書きしてしまうといい。
例えば、対極にあるものを組み合わせてみるだけで、物事は上書きできる。
・仕事向けに本を読んで即行動する
・行動から逆算して本を探す
・人の相談に乗りながら自分も即行動する
・即行動する一方で、行動について間接的に相談してみる
対極を通じて不安を腹落ちさせていくと、自虐はすうっと氷解していく性質を持っている。タフさが得られるからだ。
それでもなお、どうしても不安が残ることもある。そんなときに、ここぞという切り札として自虐を一瞬だけ使うといい。
普段は畏れられている人が見せる一瞬の弱さは、とてもチャーミングだ。
このときの自虐は、共感や愛着の獲得と結びついており、自分を認めているからこそ、初めて出せるんだよね。