単純化とは、そのままでは複雑で扱うと疲れ果ててしまう問題を解決するために使う対処法だ。
よく「言い切る」とか「即答」とか「s秒(m分)でわかる」といった言葉で好んでラッピングされる。
このような単純化は、
・問題の論点がえぐり出せない
・極論ばかりで実践ができない
・そもそも現実解が出せす役に立たない
という問題を抱えている。
大多数の人にとっては「智慧なき破戒僧」だとか「ソフィスト」にしか映らないだろう。
個人的には、単純化の極論を繰り広げる人を眺めた上で応援することは嫌いではない。
自分にない要素のヒントになるだけでなく、"So what?"とつっこみを入れて、
自分の新たな知識と行動につなげるきっかけが得られるからだ。
このとき「単純化をしている人も複雑なんだなあ」とか「こういう経験・背景だからこその発想なのかな?」といった、つっこみや思い浮かびが始まる。
それもまた楽しみだ。
単純化の実際の用い方とは、その対極にある「人間が関わる物事のどうにも割り切れない複雑さ」を認め、
その上で「解決策をえぐり出すために厳選して言語や作品で単純化してみる」という発想と構成にある。
言語や作品として単純化し、複雑さを整頓するには、整頓の棚として機能している知識が必要だ。
面白いことに、棚を頭に構築するには一定の時間がかかることもあるし、
突然一気に棚ができることもあるし、崩れてしまったと思った棚が、
更に立派な棚を一気に形成してしまうこともある。
具体的には「物質的にグニャリと変幻自在で、内容が過去にも未来にもアップデートされる、図書館や大型書店の書架」というイメージを持てばいい。
最初から単純化ばかりで済ませてしまうと、えぐり出して単純化し、
その上で納得するための棚が作れないことになる。
えぐり出して実践できるくらいの、ナイフのような危なさを持っていなければ、
それは「単純化」どころか「単なる鈍化」ということなんだよね。